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GAROへの道はなにで舗装されているか

その11:青春の旅路 ボーカル(約5分で読めます)

緊急事態宣言に伴う自粛期間にサブスクリプションで聴き、ファンになった私の、GAROへの旅は続きます。

「君はバンド組んで歌ってたんだって? じゃあ、ボーカルだね」。
1968年、東京、セツ・モードセミナー。
愛知県から絵描きを目指してやってきた大野真澄青年は、学友からこう言われました。
ニックネーム「ボーカル」の誕生です。
驚いたことに、ボーカルの最初の進路は、音楽ではなく絵だったのです。
ボーカルは、絵を描くことと歌うことが好きな子どもでした。
ラジオ番組で聴いたヒットチャートの順位をノートに書き留め、高校時代にはビートルズの来日公演に足を運んでいます。
しかし、音楽以上にボーカルの心をとらえていたのは、長沢節の絵だったのです。
工業高校を卒業した後、長沢節が設立したセツ・モードセミナーに入ることは必然でした。
ここで絵を学びつつ、ファッションのセンスも磨かれたようです。
GAROの頃の写真を見ると、ボーカルのファッションは現在でも通用すると思います。
羽根の飾りの帽子や美しいラインのスーツをつけた姿をネットで見ましたが、「ジョニー・デップみたい」というコメントが寄せられていました。
確かに。

そんなボーカルが次に導かれた先は、舞台の演劇でした。
セツで一緒だったペーター佐藤から「新しい劇団のポスターを描いたから観に行こう」と誘われたのです。
それが東京キッドブラザースの前身、キッド兄弟商会でした。
キッド兄弟商会主宰の東由多加は歌とギターができるボーカルをスカウトし、二作目の舞台『東京キッド』に出演させます。
その時は、芝居をするというよりはギターを持って観客に語りかけたり、劇中の音楽を作ったりしていたそうです。
その舞台の観客の中にロックミュージカル『HAIR』を準備中のプロデューサーがいて、ボーカルに『HAIR』のオーディションを受けるよう促します。
このオーディションに来ていたのがマークとトミーでした。
ここに運命の三人が出会うわけで数奇な運命とはこのことでしょうか。
面白いことに、渋谷にあったキッド兄弟の活動拠点の名まえも「HAIR」だったそうです。

しかし、ボーカルがセツ・モードセミナーにいたなんて、全く知りませんでした。
私も長沢節の絵は大好きで、描けもしないのに技法書を持っていたりします。
風のように自由で大胆な線がいいんですよね。
さらに、東京キッドブラザーズの前身劇団にいたということも驚きです。
東京キッドブラザーズの舞台は観に行けませんでしたが、興味はあったので、映画には行きました。何故か映画館ではなく、市民会館で上映があったんですよ。内容は……覚えていません。

テレビで見るボーカルはギターを持たずに出演していることが多かったので、楽器ができないのかと誤解していました。
実際にはそんなことはないのです。
前述の通り、舞台に出るきっかけの一つが、ギターが弾けることでした。
その後、マーク&トミーと一緒にCSNをやることになったのも、マークから頼まれて12弦ギターを貸す為に出向いたからでした。
せっかくきてくれたんだから一緒にやらない? と誘われて『青い眼のジュディ』を歌ったのがGAROの始まりなのです。
ですから、ボーカルは決してギターが弾けないわけではなかったのです(と、自分に言い聞かせる)。
『ピクニック』で三人揃ってマーティンD-45を抱えて登場した時には、全国のギター少年たちが沸き立ったといいます。
ソロになってからのボーカルは常にギターを持っています。こちらが本来あるべき姿なのです。

そんなボーカルには『学生街の喫茶店』以外にも大ヒット曲があります。
あおい輝彦『あなただけを』(1976年・テイチク)。
これを作詞したのがボーカルなのです。
私はテイチク株式会社でカラオケの部署に勤めていたことがあります。
JASRACに出す申請書を書いていたので、何度となく『あなただけを』も扱いました。
その時書類に書き込んでいた「作詞:大野真澄」がGAROの人だなんて知りもしませんし、ましてや後にその人のファンになるなんて、この時点では微塵も思いません。
でも、何度も何度も大野真澄と書いていたわけです。
不思議なものですね。
不思議といえば、石原裕次郎の『不思議な夢』。
ドラマ『新・座頭市』のテーマであるこの曲、演奏がトミーのバンド・ファイヤーなのです。
石原裕次郎はテイチクの看板ですから、こちらも全曲集など、繰り返し申請書を書きました。ですから、知らないうちに何度もトミーの音に接していたことになります。
おまけに、前述のキッド兄弟商会『東京キッド』劇中歌の自主制作盤がテイチクのスタジオでレコーディングされていたことも知り、驚いています。
なんだ、自覚がないだけで、GAROのファンになる下地は充分できていたんだな。
そんなことを思う今日この頃です。
(つづく)
(文中敬称略)

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