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大学4年生

はじめに〜

3/23,25は立教大学の卒業式だった。4/1の入社式まで1週間を控えたここまで本当にあっという間だった。2・3月は大学生活でできた数少ない友人とたくさん語り、遊びに出かけた。

2020年度コロナ禍に入学した当時の状況からは想像もできないような楽しい毎日が続いていた。仲間・友人と出会える貴重な機会を大事にしたい。そんな思いがありすぎるあまり、どこかで自分のことを考えるのを後回しにしてきてしまっていた。

そこで今家にいる時間を使って大学4年生のことを少し振り返ってみたいと思う。今日の夜からはゼミの同期・社会人1年目の飲み会を控えているため、それまでに書き上げられたら嬉しい。

大学4年生は、研究・就活・NPOインターン・学生起業・趣味(サッカー&アニメ・映画鑑賞)と非常にアクティブに活動してきた。まず、その中でも4月前半のほとんどを占めていた就活のことは語らずにはいられない。

就職活動

自分は中学生のときから文化祭が大好きな少し珍しい生徒だった。そこで発生する熱狂に魅せられ、いつしかそういった熱狂を作り出す側に回りたいと考えていた。そうした理由でエンターテインメント系の会社を受けていた。とは言え、エンターテインメント企業は人気がすごく高く、内定のハードルは極めて高い。第一志望のオリエンタルランドは最終面接まで進んだが最後の最後で内定を勝ち取ることはできなかった。

不思議なことにそのときの気持ちは絶望を感じるとかではなく、高い壁に阻まれながらもやり切った感覚が強かった。IT・マスコミ・人材など他の業界からも内定をもらえていたため、最終的にはIT企業に進むことを選んだ。入社する会社を1つに選ぶというのは本当に根気がいることだった。これまでは内定をもらうために行動してきたが、今度は働く未来を想定して会社を選ぶというフェーズの壁にぶち当たった。社会人や親に相談した末、最終的には自分の意志で決めた。

親とは最後まで意見が割れ、勝手に意見を押し付けてきた。そのときの2週間弱は今でも忘れない。就活のことを親に相談するべきではなかったと後悔したし、過去一でイライラを募らせた時期だった。

しかし今になって考えてみると、自分の想いを伝えきれていなかったことも大きかったと反省。別に親は自分の敵ではないのだから。とは言え、今後はもっと自分のことを自分で決めたい。そのためには判断するための知識や情報が必要だし、質のいい判断を下せるための経験も必要になってくる。

家で過ごさせてもらっているうえ、ご飯も食べさせてもらってこんなことを言うのもあれだが、自分はもっと自立しなければならない、自分の人生なのだから。
就職活動を通じてそのことを強く実感した。

NPOのいろは

4年生後半となる7月以降は課外活動に大きく注力した。大学でコミュニティやサードプレイスを研究していたため、座学だけでなくリアルの場を知りたいと考えるようになった。加えて学生生活で受けてきた、あるいは見てきたキャリア教育やキャリア観に疑問を抱き、それを追求したいと思うようになっていた。そこでまちづくり×キャリア教育を行なっているNPOでインターンをすることにした。

豊島区役所で区長とのキャリアイベントをやると決まってからは、1ヶ月間毎日のようにミーティングをして企画をカタチにしていった。つらい毎日を過ごしながらもイベント当日は大成功と言える形で終えることができた。そのときの達成感は今でも忘れられない。このときの経験があるからこそ、どれだけ大変だったとしても目の前のことを頑張ることができている。全てはその先の成功のために。

NPOでインターンをしたからこそ知ったこともある。私が活動していたNPOに関してはだが、成果にコミットするという文化はかなり薄いと感じた。さっきのイベント企画は異例中の異例。NPOもボランティアも基本的には若い人を中心に人手が不足している。おまけに金銭面をはじめとするインセンティブを出せるような資金力もあまりない。だからどうしてもコミットしてもらうような条件で働いてもらうことはできない。「週1回からでも大丈夫」といった謳い文句がNPOやボランティアには多く、それゆえに結果や数字に拘る環境はなかなか担保されないということだろうか。

社会人になってからもNPOと並行しながら活動する可能性はあるが、今の自分はもう少し成果に執着できるような環境を選びたい。やるとしたら30代以降かなあ(笑)

起業1年目

あとは同期学生と起業を始めたことも印象的なできごとの1つ。マーケ・営業・企画・人材採用など全てをこなす日々は多忙ながらも充実感を得られていた。初めて営業が上手くいった日のことは今でも覚えている。

これは持論だが、スタートアップの経営者やリーダーが一番必要とする能力は率先垂範だと思う。世の中の99%くらいのスタートアップが潰れる運命にあるうえ、その中には外資やコンサル、商社出身のエリートが立ち上げる会社も含まれている。優秀な人材がたくさんいる中でそれでも失敗するのが起業だ。

そう考えると「最悪会社が潰れたとしても、この人と働けるならそれでも俺はこいつについていく」といった人のいる会社でないとついていけないと思う。リーダーは大きなビジョンや野望を語り、それを叶えるために愚直に行動に移す。それだけで充分だ。

経営者との交流で飲み会や高級な料理店に行く必要はない。ましてやそれをインスタのストーリーやTwitterに載せる必要もない。そんなことをしても社員から不信感を募らせるだけだ。

2024年度、サラリーマン1年生になると同時にスタートアップ運営は2年目を迎えることになった。今年度の目標は組織の成果を最大化させることだ。自分は言葉と行動でメンバーを引っ張っていきたい。

大学時代に経験してきたGLPでは何よりマネジメントを学ぶことができたと思っている。どうやって声掛けをしたら人は動くのか、どのタイミングで声掛けをするのか、組織の成果とメンバーのやりがいを両立するにはどうすればいいのか、、、などなど学生時代にたくさん悩み、行動してきたことが今活きようとしている。その学びを今発揮するときだ。

最後に

「大学生活は人生の夏休み」という言葉がある。俺はこの言葉を越えていく。大学生活が人生のピークであってたまるか。
コロナ禍で入学してようとそうでなくとも、俺は大学4年間を結構頑張っていただろう。それでも上手くいかないことの方が多かったし、必ずしも努力が成果に結びついてこなかった。だからこの悔しさを社会人篇で晴らそうと思う。

大学生活は楽しいことばかりではなかったし、ばからしいなと思うことが何度もあった。インスタのストーリーを見ていると「楽しかった」という言葉を目にするが、正直素直にそう思いきれない自分がいる。充実していたとは思うが、だからといって満足しているわけでもない。こんなひねくれ者の自分が人生を謳歌するにはやはり社会人になっても果敢に挑戦するしかないだろう。失敗大歓迎!ここから駆け上げっていくしかない。「今が一番楽しい」と言える挑戦を!

少し恥ずかしいがこの1年間、社会人になる前に「幸せ」という言葉の意味を本気で考えつくした。お金?貢献実感?健康?人間関係?などなど色々な要素が「幸せ」のための諸条件としてあるようだ。そんな中、芸人のオードリーの若手時代を知った。どれだけお金がなくても若林さんと漫才ができる今が幸せだと言う春日さんの話がすごく印象的だった。

色々な人の話や本を読む中で最終的には「あ、幸せってすぐそこにあるんだな」と自分の中で解釈した。そこからは料理を始めて見たり、温泉に行くようになったり、スポーツを観に行ったりと面白そうだと思うことにはどんどん手を広げていった。

仕事で上手くいかなかったり、人間関係で上手くいかなかったり、これからの人生で挫折することはたくさんあるだろう。それでも日本という国においては、しっかり生きられるだけの環境は整っている。

大きな挑戦をしてもしなくても幸せに生きていける環境がここにはある。
それでも俺はたくさんの挑戦をしていきたいのです。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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