白昼夢

都営地下鉄に乗っていたら、彼が乗ってきたので驚いた。
ああそうか、この駅は、大学の駅だもの、当然か。

「やーやー、元気?」
う~ん、暑くて寝苦しいからか、最近昼間に居眠りしたり白昼夢見るんだよね。
「白昼夢って、知性・創造面で高い脳のキャパがある人がみるらしいで!脳の活動が効率良いからだって。なんやこないだネットニュースバズってんで」
ほらみろ、案外私賢いんだから。
「まじめな話、夏バテしてへんか?」
めっちゃしてる。食欲もないし扁桃炎気味なの。
「ユキ、冷たいものばっかり飲むやろ!常温の飲み物飲みって何年も夏に僕言うとるのに、ほんまきみは言うこときかへんな~」
体の熱を取ったほうがいいじゃん。
「違うねん、胃っていうのはな、冷たいものが不得意やねんて。冷たいものが入ってきたら消化鈍るんよ」
ハイハイ……来年はアイス食べるのもやめます。で、君はどこに行ってきたの?その紙袋はどうみても古本屋さんだね?
「ご名答、僕、神保町に行ってきたんよ、内村鑑三この初版やっと見つけてきたんやで。あと、ユキが好きそうだと思ってこれ、もう読んだ?」
彼はニコニコしてアランの「幸福論」を差し出した。
もう読んだよ、あと、大学の授業でもテーマになった。でもあんまり私はよく分からなかったな。幸福って論じるもんなのかなってそもそもから分からなくて。きっと優は取れないだろうな、あのレポート。
「ユキに勧められたガルシア・マルケスの『百年の孤独』と中上健次の『岬』『千年の愉楽』やけどな、僕にとっては中上健次の奈良県のあたりは比較的エリアが近いから、中上健次が敢えて激し目に書いている方言が、僕にはなかなか生々しく感じるねん。僕のいた島の方言にも近いねん。だからたぶんユキよりも僕の方が、中上健次の"高貴で穢れた血"は感覚的に入ってくるし、読むのにエネルギーがいるんよ。なんやろ、当たり前やけど、死んだ爺さんの言葉と似てんねん。」
私は北国の人間だからなー、確かに中上健次の"おどれ"みたいな方言はもはや外国語で、ガルシア・マルケスの作品を読むのと同じくらいアウェイなんだよねぇ。
「せやろ、でも僕にとっては、ガルシア・マルケスのマジックリアリズムはアウェイなんやけど、中上健次はほぼホームなんよ。だから読むのにエネルギーいるねん。押し込めたイエへの怒りとか悲しみが溢れてくるねん」
ごめん、勧めなきゃよかったかな。なんか、でも、私は自分の代わりにイエや地元の地縁みたいなものに中上健次が代わりに怒ってくれて、自分の気持ちがいくらか救われたんだよね。血に対して怒ることは即ち自分自身への怒りだからさ、私みたいな中途半端な暗い人間には成し遂げられないことなのよね。
「ユキはそれでええねん。でも僕は中上健次とまではいかなくても、地縁や血に怒りを持ってしまうねん。中上健次はモチーフとして何度も父親殺しを描くけども、おそらく中上健次は作品の中で父親殺しをすることで自分を救済してたんやな。」
うー、難しくてよく分からなくなってきたよ。
「中上健次も作品を残さなかったら、家族を殺したり、自殺したりしてたんと違うかな」
私ははっとした。
「でも、僕後悔してないよ。自殺してよかった。僕の人生はこれでええねや。でも、ユキはちゃんとリタイアしないで、ばーさんになるんやで。皺皺になったら笑ってやるねん。」
そう言って、彼は消えた。
私は乗り換え駅についていた。慌ててJRに乗り換えて、お客様先に向かった。彼が横にいたそのままの息遣いとか熱とかそういうものをついさっき会ったばっかりと感じたまま。

亡くなって4回目の夏が来た。

ファンタジー・妄想・せん妄・幻視・幻聴、それと、正常と異常。どれも私にとってよく似ていて、全部明らかに異なる。

彼はクリスチャンだからお盆なんて関係ないはずだけど、私は典型的日本人なのでよく分からないままお盆のキュウリやナスのウマなんかを用意したりして育ったので、やっぱりなんていうかなんていうかお盆は死者に対する想いがさらさら溢れていって、私は、2019年にいられなくなる。

「ああこれは妄想幻視幻聴ちょっとメンタル危ないライン、それかもしくはポジティブに言うと白昼夢」
私はそう言い聞かせてお客様先のビルに入った。

今年の夏のうちに、もう一回くらい会いに来て。ほんとはウンベルト・エーコーをお勧めしたかったの。

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