見出し画像

春巻を巻きながら聞いた話−−ベトナム戦争時代の拠点・クチトンネルへ

野菜収穫もできる料理教室に参加してみた。先生はおそらく20代。すいている日時だったのか、参加者は私1人で、マンツーマンだった。
 
日本人だと言うと、先生は姉弟でドラえもんが大好きだという。特に弟の部屋はドラえもんだらけ、小物の色もドラえもんブルーらしい。
 
ファーム併設の料理教室は、ホーチミン中心部から少し離れたクチという地域にあった。
 
「クチトンネルは、行ったことがありますか?」
春巻の皮にエビを包みながら、先生が言う。

「まだ行っていないんです」
 
クチトンネルは、ベトナム戦争のときに、ゲリラの拠点となった地下トンネルだ。
 
もともと近隣の集落に暮らしていた人々もトンネルを掘り、そこで生活し、武器をつくり、戦い、ケガを治療した。小柄な身体を活かして、大柄なアメリカ兵たちを狭いトンネルから攻撃し、数々の戦果を残したことでも知られている。

行こうとは思いつつも、戦争関連の場所はある程度学んでから行こうとまだ訪れていなかった。あまり遠くない戦争の事実に直面する覚悟も、なかなか持ちきれなかった(もっと正直な表現をすれば、気が重かった)。
 
 
「行くといいですよ。なんというか……とても狭いです」

うまく表現できなかったというかんじで、先生が苦笑いをする。
 
「狭いですか。近いうちに行ってみます」

なにか質問をすればよかったのかもしれないけれど、うまく浮かばず、おうむ返しのような相槌になる。
 
しばらく間を置いて、先生がまた口を開く。
 
「私の両親は、クチトンネルに住んでいたんです」
「あ、ご両親が……」
 
ぽちゃん。
「わぁ、なにしてるんですか!(笑)」

包んだ春巻をお皿にのせるつもりが、皮を包むための水が入った小鉢にいれてしまった。
 
水に落とした春巻をばたばたと救出すると、先生はもう最後の春巻を巻き終わっていた。
 
「そろそろ揚げましょうか」
 
料理教室のつづきがはじまり、クチトンネルの話はそれで終わりとなった。
 

ベトナム戦争は、1960年から1975年。2023年現在からは、48〜63年前ということになる。
 
20代と思われる彼女の両親は、50代くらいだろうか。先生の見た目が若くて(ベトナムはけっこう若く見える人も多い)、実は私と同じ30代だったとしたら60代か。
 
当たり前ではあるが、親世代が戦争を経験しているのだ。
 
その近さを目の当たりにして、私は動揺してしまったのだと思う。
 
帰り道に、クチトンネルのツアーを予約した。

デザートにつくったバナナ春巻、ココナツアイス添え。


———
 
翌週行ったクチトンネルツアーは、「ベトコンたちが、いかに勇敢さと知恵をもって、残忍なアメリカ兵に立ち向かったか」を語るビデオを見てから、トンネルをかがんで歩いてみるものでした。
 
トンネルから顔を出す写真を撮るスポット、射撃体験をできるところ、アメリカ兵を倒した落とし穴の解説、ベトコンの帽子やサンダルが売っているお土産屋さんがあったりして、そこを観光客がわいわい楽しむ仕様。
 
終始どう受け止めればいいのだろうと思いつつも、たしかに狭いトンネルを歩きまわりました。
 
これまたマンツーマンで、移動中のワゴンでいろいろと話をした60歳前後のガイドさんは、「私が住んでいた家から、5分くらいのところ」と、街中に落ちた戦闘機の写真を見せてくださいました。

こちらの記事は、毎週末、配信しているニュースレター「日曜の窓辺から」のアーカイブです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?