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走れないなら、歩けばいいんやった

私はどうも、走ることができないみたい。
なんでなんやろう。
散歩しながら、考えていた。

小さい頃に喘息になって、でも落ち着いた、
私の体の中から出ていったと思っていた。

でも大学2年生の頃からまた姿を現した!
しかも喘息よりもっと厄介なやつも連れて。

今は落ち着いて3ヶ月〜半年に1回くらい、
咳がずっと止まらなくて寝れないくらいの症状が現れる。
症状が1週間ぐらい治らないことがほとんどで
そんな時は体に加えて心もやられる。

喘息やと、呼吸器が弱いってことで走ることには向いてないみたい。
ということはそうか、私って走れないのかと散歩しながら気づいた。

今までは自分の体力をつけて、努力すれば走れる。
走れない自分は体力がなくて、走るようになるための努力をしてないんやと思っていた。
たしかに、トレーニングを行えば走れるようになるのかも。

でも、必ずしも走らなくてもいいのではないか。
歩けてるんやから、歩けるという部分にフォーカスすればいいじゃないと思った。

走ったらすぐぜえぜえする自分がかっこ悪くて、走らんとあかんかった時に走りながら、でも走れない自分に「は?!なんで走れへんの!もっと私の体頑張ってよ、なんで頑張れへんの!あほ!ファック!」なんて言いながら走ったのを思い出した。たった10分ぐらいやったけど、それが今でも悲しい。

私が私のことを分かってなかったから、一緒にいた人にも「体力ないよね、最悪」としか言えなくて泣きそうになった。
そんなのが何回かある気がする。

最近は走ることが苦手だから走らなくていいように、余裕を持った時間配分を心がけていた。それ自体はいいこと。
でも、走れないから苦肉の策みたいな気持ちで行ってた。
喘息だけじゃなく、関連してる部分もあるのか、すごいよく貧血になる。

いつ、どんな場面やったら貧血になるのか、この24年間でいろんなケースをサンプルとして集めたおかげで傾向が見えてきた。
だからこその余裕を持った行動。
そしたら、苦肉の策じゃなくて、最善の方法として行っていきたい。
余裕を持った10分前行動えらいやん〜って言いながら!

走らなあかん場面は多分これからいっぱいあるやろうし、
そういうときに全く走れへんのも困るから
体力をつけたりできることはやりたい。

でも、歩けるんやから多分ほとんどの場所では大丈夫やと思う。
走れなくてもなんとかなる。

もうね、しょうがないことっていっぱいある。
走れないことだけじゃなくて。
できないことを嘆いたり、それを力ずくで頑張ったり、
それも一つの方法かもしれへん。

でも、そうじゃない方法でも考えられるといいな。
走れないなら、じゃあどうしよう。
どうしても無理やったら無理なもんをやるより、
他の方法を考えたり、そもそも走る必要があるのか考えたり。

歩くって案外いいものなのよね。

在宅で研修を受けている社会人1年目の4月なので、
引っ越した部屋の周りにはなにがあるのか探検がてら歩いている。
リフレッシュになるし、心が穏やかになるし、ちょっとした冒険やし、
歩くのなかなかいいのよね。

今日ははひたすら面白そうな方向に行ったら帰り道が分からなくなって、
しかもそんな時に限ってスマホの電池が切れてしまって、
結局彷徨っていたらわかる場所にたどり着けて!

1時間ぐらいの散歩が大冒険になった。


こんな風に、走れなくても、今の状況でも、
楽しめている私でいたいな。

走れなくても、歩ける。
そこに視点が置ける、そんな私でいたいな。


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