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え、自立しなくてもいいの?

みたいな変な印象を受けた。

男性が養ってくれるので、私は自立しなくてもいいんです!可愛いだけでいいんです、働かないで家事だけやって、あとは楽しく遊んでます。若くてきれいなうちに結婚するから別にいいんです、と言っていて女は本当に男的に大丈夫なのか。

みたいな、そーいう印象だ。女が働きたくない!!って言えば、男はすぐ寄生虫って言うくせにさ。女は働かなくていいよ、って社会から言われたら、ほとんどが働かないだろう。働くのが好きで好きでたまんないひとなんか男女問わずマイノリティですよ。多くの人間は、自立しなくていいならしない。私は仕事好きなので働くけど。

奥先生はめっちゃ強者男性なので、自立できない若い美しい女性を余裕で養えるからそうおっしゃるんだろうが、世の中年収が400万円代の男性がほとんどで、果たして、働かない、経済的自立できない、自立する気もない女性を養えるだけの甲斐性が今現在の未婚男性にあるのだろうか。

女が年老いて可愛くなくなればやはり養ってもらえないだろうし、ババアが「男に養ってもらえない!」と言えばバカにされて自己責任と呼ばれるだろう。男性の「女性は自立しなくってもいいよ」をあてにして生きていくわけにはいかなから、自立しにくい社会でも一生懸命自立しているのに。年老いてから夫が若い女に浮気しても、夫の心が離れないように尽くさないおまえが悪い、自己責任って言われるでしょ。若くてきれいな時期は男に依存して生きていて、年老いて容色が衰えたんで働きます、って言ったって、中年無職に突然まともに稼げる仕事があるか、といえば無い。結局若い頃からスキルを溜めるために四苦八苦して働かないといけない。

結局、女が経済的に自立する、という話は、男の欺瞞につきあう気がサラサラ無いという話なんですよ。男の欺瞞につきあう気ならば、専業主婦になりたいひとはなればいいし、専業主婦だからって精神的に自立していないわけではない。そもそも、別に経済的に自立なんかしてもしなくてもいいじゃん。とはいえ、普通は男の欺瞞につきあいきれないから自立するんですよ。自立がどれほど難しかろうとも、男のそういう欺瞞がしんどくってつい自立する努力をしてしまって、自立してしまう。自立できないけど若さも容色も無い女の設定が、男には無い。それが男の欺瞞。

男の欺瞞に巻き込まれないのは、たとえ実の娘でも無理だ。どれほど誠実な父親でさえも、年老いたら娘よりも先に死んでしまって、娘を養う男はいなくなってしまう。中年になった娘と結婚してくれる男もいない。だから、自立できない娘を養うために長生きしろ。という話をするのは、男性にとっても良いことなんだろうかね。それって、男性にとって本当に幸福?自立できない嫁を養うために、病気になっても寝ていられない夫、とかさ。それって、男として、人として、本当に幸福?容色が衰えて性的に使えなくなった女は捨てちゃうからOKなの?私だったら、病気になった夫を養いたいし、働けなくなったら、私が働いているから、あなたはゆっくり休んでいろ、と言いたいから、経済的に自立していたい。男は馬車馬ではないのだ。人間なのだ。お互い人間同士支えあうのが結婚であり夫婦だ。

成人した女性が自立できない状態で、男を頼らないと生きていけない、って、男性もつらかろう、みたいに思うけど、そうでもないのかなあ。

そんでね、相手をひとりの人間として見る、たとえば、奥さん自分に依存しないと生きていけないけど、自分が死んだあと大丈夫かなあ、とか、自分の娘は親に依存しないと生きていけないけど、自分が死んだあと大丈夫かなあ、保険いっぱいかけとこうかな、財産いっぱい遺さなきゃ、とか、考えるのが愛だし、愛のある親だし、愛のある家庭なんですよ。相手を愛していたら、相手の幸福を考える。自分で自分を生かす力の無い、自立できない女は不幸になりやすいから、大丈夫かなあ、って考える夫や父親というのは、愛のある男性だ。愛のある男性と、愛のない男性の見分けをつけるのは、こういうところ。男特有の欺瞞が少ないひとは愛がある。

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