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『トッケビ』感想

『トッケビ』から出でて『トッケビ』に戻る。

みたいなネトフリ生活になっている。

何回観たのか覚えてない。観たいのが見つからない、とか、他のに飽きたな、みたいなときに戻る。いままで傷に塩水ぶっかけて痛い痛い言っていたけど、ときどき真水で洗わないとな、みたいなかんじで『トッケビ』に戻る。

「喪失」と「邂逅」の物語だ。いや、そんな難しい言い方せずとも、普通に言えば、「いっぺん手酷い形で失って後悔しまくったものを取り戻す」話だ。失って悲しい。でも取り戻した。失って悲しい。でも取り戻した。を繰り返している。

それがひどくまっとうなかんじがするんだよね。なぜこれほどまでに、ネオリベラリズムに喰い尽くされて貧困格差が広がった韓国において、ドラマや映画などといった物語部門だけはこれほど正気でまっとうなのだろうか。私はKPOPも好きでブラピンとか大好きなんだけど、音楽よりも物語のほうがすんごい正気だな、と思う。どれほどネオリベラリズムに喰い尽くされてもこの調子でまっとうなのかと思うと、それはそれで凄まじい。凄まじい正気っぷりだ。

その国のドラマってその国や民族の精神の病理を表す、と言われてて、たとえばアメドラは「セクシーの病」って言われてた。たしかにその国の傾向ってあるよねーって思ってるんだけど、韓国ドラマのこの正気さがある種の病気なのだろうか、みたいな気になるほどに正気だ。つい最近まで南北統一願望の傾向はあったけど、まあある意味それも正気だよな。民族として。ゾンビドラマでも正気、ファンタジーでも正気、時代劇でも正気だ。

悪いものは一時的に勝っても長い期間かかっても最終的に滅びるよ。正義は一時的には負けても長い期間かかっても最終的には報われるよ。間違えたものは取り返しがつかないと思って後悔したとしても、長い期間かけたら和解できるよ。失った家族はつらいけど、いつかかならず新しい家族を作って幸福になれるよ。たとえ命を失っても、守りたかった大切ななにかは絶対残るんだよ。

失ったものは取り戻せる。失った正義も取り戻せる。失った愛も。失ったコミュニティも。いっぺん間違えても謝ればまたもとに戻れるよ。取り戻せなくとも大事ななにかは残るから、だから絶望するな。

という話をずっとしてるんだよ。まっとうだし、人として正気を保っている。そんなのは嘘だとわかっていようとも、人はそこを抑えてないとどこまでも堕ちるからだよ。

日本人の私が言うのもなんですが、ずいぶん酷い目に遭いつづけたゆえに手にした正気なのだろう、と思う。狂気に近い、病気と見まごうような、頑なな信念。その信念が見たくてまた『トッケビ』に戻る。

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