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自分でもそうなんだが、人間、痛い目に遭わないとわからないこと、というのはある。

子育てしてても思うんだけど、うちの子本人が平気平気と言っててダメだったことが数回ある。「本人が平気って言ってるからな」みたいなかんじでうちの子がスケボで坂を下りるのを見てたら、思い切りすっころんで、擦り傷で血まみれになったことがある。そのとき、もっとちゃんと止めれば良かったって、後悔した。危ないからやめろって。でも、すっころんで痛い目に遭ったから、その後自分を過信しないようになるのかもしらん、とも思う。転ぶのも大事な経験なのかも。そして、子供の頃にそういう経験をたくさんしないといけないのかもしらん。大人になってから転ぶと、大怪我するからな。

問題っていうのは、最初に予兆があって、それを無視しているとどんどん酷くなっていく。最初の予兆の段階で、自分自身が、気づかないといけないんだよね。小さな間違いや小さな失敗のうちに気づかないといけない。あれこれ試行錯誤して、なるべく正しい答えを模索しないといけない。なにがおかしいのか。なにを見過ごしているのか。

私はなにを間違えているのかしら。

でないと、問題は大きくなって、後に行けば行くほどに取り返しがつかなくなっていくからだ。

そんなことを考えながら、掃除してる。や、最近我ながら掃除が雑だよな、と思って。家事全般、雑だ。良くない兆候。反省。たぶんこれ、なにか痛い目見る前に違いない、と思いながら。

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