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映画『パラサイト』感想ネタバレあり

※ネタバレあるので注意してください。

誕生日についうっかり『パラサイト』を観てしまった。胃がずっしり重いうえに、吐きそう。最初の感想は、

私、あんな血まみれのでかい包丁振りかざして暴れるおっさんに襲撃されて、とっさにバーベキューの串をとって戦って無事に勝てるだろうか?

という内容だった。なぜ戦うのが前提なのか。

韓国映画の良質さを知ったのは、15年くらい前、『親切なクムジャさん』を観たときだった。テーマを受け渡されるときの概念の量が違う。多層的かつ膨大。そんで胃が重くて吐きそうになる。精神的にまいってるときに受け止められるような代物ではないので、あの映画が創れて、大ブレイクしてしまうだけの、社会の度量、みたいなもんも必要だろうけど、今の日本にはあんまりなかろう。これからはもっと無いだろう。

韓国映画の多くはコメディから始まるんだけど、もうその軽快さとは裏腹に、話を進めるにしたがってどんどんと胃が重くなる。『パラサイト』もそうだった。主人公たちが直面している問題と絶望が深まるにつれて胃が重い。今回のテーマは貧困格差だ。

貧困格差の絶望は、ぼんやりと霧のように一家を包んでいる。普段は特別には意識されず、一家の父、キム・ギテクが言う通り、「なにも作戦が無い」状態に追い込まれている。作戦立ててもどうせその通りにはならないのは、貧困ゆえに打つ手が無くなりやすい、という意味で、詰んでることと同義だ。人生詰んでる絶望は普段は、方向性が無いぼんやりとしたもので、胸を塞ぎつつも、暴力に直結していないんだけど、なにかの契機に突然、先鋭化したナイフのように方向性を持つ。たまたま今回は社長・パク・ドンイクに向かった。私は、あのパパに暴力が向かったのは正しいと思った。現実では、あのての暴力は癇癪のように、自分より弱い人間に向かう質のものだからだ。ちゃんと、目上の人間に抗議が向かったの、えらかったね。みたいな変な気分になった。殺人なんかあってはならないんだけど。

一家の娘、ギジョンは、洪水で沈む部屋のトイレの上でたばこを吸う。諦観が深い。なにもかもが諦めの中、絶望の中で話が進んでいく。その対比としての、お金持ちの奥様、ヨンギョの明るい性格が、また胸を打つ。

私の友達はヨンギョのようなタイプが多いからだ。私もヨンギョのような、何不自由ない奥様に見られることが多いんだけど、全然そんなことはない。ヨンギョはいいひとだ。優しくて綺麗で、気さくで賢く、多芸で、時々常識を踏み外すけどそれも魅力的。育ちが良くてひとを疑うことを知らない。だからこそ、社会システムの歪さが見えることはない。それゆえに今回は怒りのベクトルがヨンギョの夫に向かった。彼女は罰のように夫を殺されたけれど、それでも彼女はけして悪人ではないのだ。ただ、お金持ちで育ちが良かっただけ。やるせなくて胃が重くて吐きそう。

社会構造の歪さが集約されてた映画だった、と言うと、なんだかそれもずいぶん雑でうすっぺらな言い方な気がしてくる。そんな映画。



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