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もともと『チャングムの誓い』が大好きであれが流行した時点でハマってたんだけど、パク・チャヌク監督の2000年代初頭の復讐三部作が、自分の中で印象に残っている。岐路を分けた。そういう印象を強く持ったのを強く覚えている。『オールド・ボーイ』もだけど、イ・ヨンエ主演の『親切なクムジャさん』だ。

いや、『オールド・ボーイ』も本当に凄まじかった。日本の漫画が原作だったが、全体としてまとまりが良く、視聴者に受け渡してくる概念が大きく重い。紛れもない名作だ。重い名作。あれを観た後、連ドラでコメディの『美男ですね』で『オールド・ボーイ』がオマージュされてたのを観て、さらに愕然とした。

『オールド・ボーイ』をたくさんの人が観てないとラブコメでオマージュなんかしない。あれをたくさんの人が観て評価した、ということは、あれが理解できる人がマジョリティであり、韓国国民の、総体としての文化面での教養が高い、ということだ。日本はあれはマジョリティは観ない。どれほど映画としての質が高くても、だ。

これはもう、数年後に抜かされるだろう。という確信があった。

その上での『親切なクムジャさん』だったんだけど、こちらももう、映画として凄まじい質の高さで、しかし、これを受け止められる人間はそれなりに映画マニアな人間だろう、と思った。日本では、だ。日本では、大衆とかマジョリティとか言われる人間がそれができるかって言えばできないだろう。でも韓国では違う。マジョリティがちゃんと観るし、理解もするんだ。良さがわかる。観る目がある。

今現在の韓国の映画・ドラマ市場の豊穣さは、紛れもなく、韓国国民の文化面での教養の高さが醸造し育てあげたものだ。今現在の差はそれだ。

芯がブレないんだよな。どれほど新自由主義に飲み込まれようが。なんなんだろう、あの、文化面の質の良さと矜持の高さ。気性の烈しさが芯の強さとして文化の屋台骨を支えているのではないだろうか。日本にはないのは、あの気性の激しさを、文化面の芯の強さに変換する何かだと思う。日本人だって気性は激しいのよね。伝統を伝統として守ろうという力強さと、新自由主義に飲み込まれても魂まで売り渡さないという烈しさか。韓国は特に大国に翻弄されてきた歴史があるから、そういうのが根気強さとひたむきさになってるのかもね。日本、所詮、島国だからな……。

同じものを中華ドラマを観続けて感じる。とにかく金があるよね、みたいなのもあるけど。自分とこの文化への矜持と、新自由主義やグローバリズムに合わせようという腰の据わった根気強さがある。日本は文化面で、日本人の気性の激しさや潔癖さが、うまく良いスパイラルに変換できないんだよね。

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