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同時代音楽のための月刊マガジン【無料】

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同時代に生きる音楽家のインタビュー、エッセイなどを月刊でお届けします。紙媒体のマガジンを目指して、記事ストック中です。 【音ポスト】 【ゆきちか日々の書簡 (不定期)】 【今日の… もっと読む
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作曲は教えられるのか。

新学期。何かを教わり始めたり、教え始めたりしている人もいると思う。作曲を教えることについて、noteでもいくつか記事を書いていたけど、具体的にやり方を書いてみようかと思う。旧ツイッターでも少しぼやいてみたけど、自分としては思うところがある。 作曲は教えられるのか 作曲は教えられないとよく言われるけど、それでもお金をもらってみんなレッスンをしている。それで実際どういう作曲のレッスンがあり得るのか、わたしなりに考えてみた。和声や対位法、アナリーゼやスタイルなどの技術面は教本が

暗闇の音楽

この夏にやりたいと準備していたことがある。大人の事情で予定していた枠じゃできないけど、そうじゃない方法でできないかと思っている。やまびこラボのシリーズだけど、この際枠はどちらでもいい。とにかくやれるといい。 もともとやまびこラボのために今夏40分くらいの長い時間感覚のための音楽を作るつもりでいた。それは日の入りのときに、だんだんと空の色が変わる変化を音と一緒に感じるための音楽だった。そして、最後は闇になる。一つの細い糸が長い時間でゆっくりと伸びていくような変化軸を感じたいと

ゼロの音楽の実践ーはじめ塾での活動備忘録を兼ねて

春休み中に家村佳代子さんと永岡大輔さんに教えて頂いた、小田原のはじめ塾に招いた頂いた。作曲のワークショップをやらせてもらえるということで、二泊三日みっちり子どもたちと接した。 子どもたちが作ったアニメーションの音楽を子どもたちと共に考えてほしいということだったけど、最終的に作品になるかどうかは置いておいて、音を一から考えることをやってほしいということだったので、「ゼロの音楽」をテーマにすることにした。 音楽の歴史は前の時代で行われていたことに対するカウンターカルチャーとし

想像力の鍛え方

音楽と見えない世界 見えないものについて考えている。音楽は時間芸術で、鳴っている音は聞いた瞬間になくなってしまうし、録音でもしない限りは音がその空間にあった保障すらない(録音したとしても、その空間にあったものとは別のものだし、それがそれであった証拠はない)。それらの音の粒を頭の中で組みたてていくわけで、特に演奏前のアイディアや音を妄想するときは何も手掛かりがない。音が細分化されデータ化されてからは音は音でなくデータになり、それらを組み立てることは出来るようになるが、音が見え

見えないものと見えるもの

プロジェクトが混線してるのと頭を整理するために書いてみようと思う。作曲について。 「作曲をしています」というといつも似たような質問をいただく。例えば「作曲のレッスンってどういうことをするんですか」。専門的な立場の人からは「これまで受けて一番良かったのは、誰のどういうレッスンですか?」。 今でこそ「教える」ことのほうが増えてきたが、10~35歳くらいまでは「教わる」ほうだった。25年くらい「教わる」をやってきたので、自称プロ学生だ。大学で年単位で教わってきた師匠以外にも、ワ

体験することでようやく音になる。

わたしはアルバイトといえば家庭教師か短期の派遣か数えるほどで、後悔しているのだが、唯一大学卒業の頃に長くアルバイトをさせてもらったのがトーキョーワンダーサイト、いまのTOKASだった。音楽系のスタッフがいなかったというのと、当時から音楽家を招いたワークショップを学校外でオーガナイズしていた経験もあり、恩師のつてでアルバイトとしてワンダーサイトに入ることになった。そこで知り合った先輩アーティストのみなさんとは長く交流があり、今でもわたしの創作の源になっている。 音楽家の間でも

Yukiko Watanabe: Die Fehlende Melodie (2021/2024)の解説

解説(日本語) この作品は、二つの異なる時間軸が存在するよう作曲されています。一つは鼻歌のようなもの、そしてもう一つはゲーム性のある和音です。チェロによって演奏される鼻歌のようなものがメロディー、和音は伴奏であるとするならば、所謂「歌と伴奏」という古典的な手法で書かれていますが、その組み合わせは作曲家側からは指定されず、偶然出会ったメロディー(のようなもの)と和音(のようなもの)が重なって、結果的にその和声上で鳴っている歌のように聞こえてくる、という仕組みを利用しています。

わかってもらわなくて本当にいいのかどうか

現代音楽といわれる分野は難解である。一般的な感性から遠い。 日本における現代音楽の文脈での「わかりやすい」が時に批評的に響くのは、この音楽ジャンルが持つ元来のキャラクター特性なのか。「わかりやすい」「キャッチー」であることが現代音楽上一体どういうニュアンスを感じさせるものなのか。 音楽が言葉をのせるものだった時は、「わかる」ということが必須だった。音楽が言葉から離れて器楽曲として演奏される際も、言葉の意味ではない音楽のわかる化は作曲家による様々な工夫によってなされてきた。

12月の駄文

考えがまとまらずグルグルしているが、少しだけ思うことを書いてみようと思う。 現代音楽が進歩主義的だというのは当然でそれは音楽自体が社会とコネクトしているからであって、移動手段、メディア、テクノロジーも前はなかった技術が開発され、人々の生活がだんだんと良くなっていくような錯覚は同時代に生きる人たちの多くが共有している感覚だと思う(それが行われた結果今どうなっているかというと、環境は破壊され、人々が理由なく殺戮される、殺伐とした世の中になっている)。 人が何を見ているか、でと

決断することと音の創作について

ここ一か月旅をしたり方々でワークショップをしたりして考える時間があったので、少しまとめておこうと思う。つたない英語で自作のプレゼンテーションをさせてもらって言語化できたことも、これまでの創作について振り返る良い機会になった。 ジェンダーについてリサーチするようになってから、社会の構造と個人の関係性について根本的な本質にフォーカスして考えるようになった。女性作曲家が少ないのは、女性に才能がなかったわけじゃない。ただ女性が作曲するという社会でなかった。才能を見せようとする場が社

【十月の備忘録】ex-peri-mentalの先にあるもの

朝から仕事をする。一山超えたところにある隣町のカフェまで車で向かう。小さな森を抜けたところにそれはあり、そこまでのドライブはとても気持ちが良い。特に秋に森をドライブするときは、刻々と変化する紅葉を楽しみながら自分自身も森と同化したような気分になる。 「自然と一体化できる」なんてふれこみのテーマパークもあるけれど、自然と人間が別の存在として考えられている人間中心的な世の中で、自然と同化することはどうやら気持ちの良いと認識されているようだ。 所属する女性作曲家会議のイベントで

正座とお茶碗、文脈

毎回韓国に行くと驚く。これは西洋諸国に行ったときとは比べ物にならない。恐らく「これはこういうもの」という認識を超えてくるからだろうと思う。最近は韓国の街のテクノロジーの発展による快適さと一向に何も進まない日本の街の違いに驚く(と共に嘆く)ことも多いが、もっとシンプルなところで食事中のマナー、お風呂の使い方、家の間取りやドアのキーの形状など、日常生活の中の違いを挙げ始めるときりがない。 隣国のアジア諸国である、という意味で、欧米から見ると両国の違いは大きくないと思われがちであ

主軸とは何か

ここのところ、いくつかのプロジェクトが並行して進んでいる。その中で感じたことを備忘録的に書いていこうと思う。全く関係ないようで、少しずつ関連しているような気はしている(備忘録とだけあって、乱筆乱文)。 これを書こうと思ったきっかけは、友人で美術家の永岡大輔さんからの連絡だった。永岡さんは、今はなきトーキョーワンダーサイト時代からの友人で、兄のように(勝手に)慕っている、尊敬するアーティストである。 そんな彼から連絡をもらったのが数週間前。「今カッセルにいるんだけど、作品に

コンポジションの時間 in 松本 開催

(有料全文公開記事です)さっきょく塾は、2018年にスタートし、2023年に五周年を迎えます! 多くのゲスト音楽家の方、またさっきょく塾生のみなさんに支えられ、この五年という節目を迎えることができました。 さっきょく塾では、音楽思考を言葉にすること、そしてそれを共有し感じ合うことを学びの主としてきました。「創作の技術」や「良きとされていること」を教えることではなく、各々の表現者が表現したいことを言葉にするお手伝いをしたり、どこかで知ったつもりになっていた言葉や概念をもう一度

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