自分と文章が並んだ
最近、毎日noteを書かなくなった。
正確に言えば連続で書くときもあれば、間が空くときもある。かっちり決めずに、ゆるやかに。今のこのペース、すごくちょうどいい。
毎日書いてたときは「がんばらずに続けていますよ」なんて言ってはいたものの、やっぱりがんばってたんだ。どんなにゆるい内容でも、毎日必ず1000字程度の文章を書くことはそれなりに負荷がかかってて。やめてみてはじめて、毎日書くという重さがずっしり乗っかっていたことに気がついた。
そのずっしりに気がつかないフリをして書いてたのは、書く習慣がなくなることが怖かったんだ。せっかく続けてきたのに、書くことがめんどうになったり、おっくうになったらどうしよう、と。
でも大丈夫だった。少し間が空いても、自然と書きたい気持ちになった。おそらく多少なりとも続けてきて、書くための筋肉が確実についてきている。だから筋トレの頻度を少し落としたとしても、筋肉があっというまにおとろえることはないのだろう。1か月休んだらぷよぷよになるのかもしれないけど。(実際の筋トレは詳しくないので、たとえです。)
書く習慣は維持したまま。
毎日ではなくゆるやかに書く。
こういう書き方になって「自分」と「文章」が並んだ気がしている。背伸びもせず、自信がなさすぎるわけでもなく、ちょうど同じ背丈になったというか。等身大の自分が書ける、等身大の文章。
やっぱりね、「毎日何かしらをアウトプットする」ということを決めていると、どうしても未消化な状態で言葉を発することもあった。ここまで思ってないけどとりあえず書いちゃえとか、逆に「~かもしれない」「~な気がする」とあいまいな表現になってしまったりとか。
もちろん嘘は書いてないけれど「文章という形にすること」に重きを置いていたため、文章だけ自分をぽーんと飛び越えて先に行ってしまう、もしくは何が言いたいんだかわからず足元のほうをうろうろしてる、という感覚に陥ることがあった。
だけどそれがなくなった。
文章が自分を追い越さない。足元にもいない。ぴったり同じタイミングで進んでいけてる。そういうふうに書く文章は、書く間も居心地がいいし、書き終わった後も読み返したいなと思えるし、結果的に人にも届きやすくなるのかもしれない。
その言葉や文章に、しっくりきているのか。
ここを一番大切にしながら書いていきたい。
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