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どちらが言っていることも、きっと正しい。

以前、2泊3日のキャンプに行った時のできごとです。

野外炊飯で

そのキャンプの中で、野外炊飯のプログラムがあった。班で協力しながら、一つの料理を作っていく。

そのときのキャンプでは、プログラムの楽しさの一つとして「コンテスト」というものを設けていた。班ごとに作った料理を審査員に扮した大人が試食し、総合的にどの班がおいしいかを決める。

同じ材料で作っているのに不思議と味が違い、驚く。野菜の切り方などを工夫してる班もおり、それぞれの個性がよく出ている。

審査は難航していたが、最終的には1つの班に決まった。その時は、ある男の班がコンテストで賞をとった。

賞がとれなくて、悔しかった

プログラムの楽しさの一つとしてやっているが、子どもたちは結構真剣で、賞をとれなかったことで、かなり悔しがる子もいる。

その時もそうだった。賞を取れなくて悔しがっているAくんという子がいた。もともとAくんは感情のコントロールがあまり上手ではない。

賞が発表された後のことだったと思う。賞を取った班のBくんが、賞としてもらった手作りのバッジをAくんに見せたらしく、それがAくんの怒りのスイッチを入れてしまった。

私が気づいたときには、AくんがBくんにつかみかかるように、追いかけまわしていた。

他のスタッフの協力も得ながら2人を止めて、話を聞いた。

それぞれの主張が違ったら…?

Aくんは、「Bくんがバッジを見せびらかしてきた。だからイラッとした」というようなことを言っていた。

Bくんに「そうしたの?」と聞くと、「確かに見せたけど、普通に見せただけ」というようなことを言っていた。

その場面は実際には見ていない。2人が言っていることは微妙に食い違っている。

そのときに私は、

「どちらが言っていることも、きっと正しい。」

と思った。

Bくんはたぶん、賞が取ったことを嬉しくて、思わず見せたくなってしまったんだろう。でもそれには、特に悪意はなかったんじゃないかな。

Aくんは、たとえBくんに悪意がなかったとしても、悔しさを逆なでされたように感じてしまったんじゃないかな。

お互いにそう感じていること、どちらも間違っていない。

誤解をとく

大切なのはここから。

お互いの主張はそれぞれ尊重されるべきものだけど、食いちがっている部分をどうすり合わせていくか。歩みよっていくか。

私は、トラブルの対処の過程は、「お互いの誤解をとく作業」だと思っている。ちょっとした誤解が少しずつ糸のように絡まり、気づいたら大きなダマになってしまっていて。

話を聞きながら、そのダマを少しずつほどいていく。子どもだけで解決していける場合は任せるが、むずかしい場合は大人が仲裁に入る。

2人が言っていることを、まずそれぞれ受け止めた。その上でBくんには、「Aくんにはちょっと違うように伝わっちゃったのかもね」「人にはいろんな受け止め方があるからさ」というようなことを伝えた。

その時にはBくんは落ちついて話を聞いてくれていた。Aくんの気持ちも少し理解したような様子だった。

気持ちがおさまらない

Aくんは、Bくんが怒らせるつもりはなかった、と聞いても、理屈はわかるが、怒りがおさまらない。

その場面でもまだ手を出しそうになっていて、「それはやめよう」と伝えても、Aくんは「自分はイラッとした時に、手を出すことはこれからも止められない」と。

どんな理由があっても、手を出すことはしてほしくない。

だから、「手を出すことを我慢できないなら、キャンプには参加してほしくない」とはっきり伝えてみた。

ここまではっきり言うべきか、すごく悩んだし、この言葉は合っていたのか、今も思い出して考えたりする。

でもその上で「どうしても怒りが我慢できなかったら、友達に手を出すのではなくて、私とか、他のスタッフに言ってほしい」と伝えた。

Aくんのイライラっとした気持ち自体は認めたいし、受け止めたかったからだ。

自分で気持ちを整理して

初めはそれでも納得していないようだったが、少し経つとAくん自身から「イライラして止められなかったら、こうすればいいんだよね…」と地面を足踏みするまねを見せた。

たぶんイライラを発散するということなんだろう…と、わかった。

自分で気持ちを整理し、どうすればいいのかちょっと気づいたAくん。

すごいな。

人との関わり合いの中で

何かトラブルが起きた時、私たちにできること。

「誤解があるんじゃない?」と問いかけてみることや、気持ちそのものを受け止めてあげること、子どもが自分で考えて答えを出すまで待つこと、くらい。

シンプルだけど、それが結構大切だと思っている。

大人が全面に出て、どちらが正しいか、悪いかジャッジして、謝らせて終わり。そんな仲裁の仕方では、子どもの学びには何ひとつなっていない。

トラブルやケンカは、学びの宝庫。起きたことをゆっくり紐解く中に、多くの学びがある。それに関わる大人側にも、同じく。

あえてトラブルを起こす必要はないが、起きた時は、子どもたちを主役にしながら、丁寧に話を聞いて、紐解いていきたい。

住んでいる場所も、通っている学校も違うAくんとBくん。その後もちょくちょくキャンプに来てくれていて、今ではここの場で出会う、仲の良い友達の一人、という様子に見える。

人と関わり、ぶつかり、相手の感情に触れ、そして理解する。

そのくりかえしで、子どもは成長していく。

そんな場を、これからも創り続けたい。

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