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書き続けていたら、やっぱりいいことがあった。

SNSでつながっている方って、ふしぎな距離感だなと思う。近いけど遠いような。遠いけど近いような。「SNS」という言葉を聞くと、未だに怪訝な顔をする人もいるけれど、私にとってはいろいろなご縁が生まれた大切な場所でもある。

今日、noteのお友達である薫さんとオンラインでお話をした。

知り合ったのは約1年前。「磨け感情解像度」というコンテストで、薫さんが私の記事をシェアしてくださったことがきっかけだった。薫さんの書く文章はギャップがすごく(ほめ言葉です)、論文のように緻密に組み立てられている文章もあれば、笑かしにかかってくる文章もあれば、情景豊かな文章もあり、そこがとても魅力的で。

私が好きなnoteはこちら。

こちらのnoteを読んでぐぐぐっと心をつかまれたのを覚えている。愛と書かずに愛を伝えるとはこういうことなのかな…と。素敵だなという気持ちと、憧れの気持ちがむくむくと湧きあがった。

コメントやTwitterでちょこちょこやりとりをさせてもらってる中で、私が住む場所と薫さんに少しのゆかりがあることがわかり、おお!と、いっきに親近感がわいた。年代も近く、会える距離でもあることから、いつかお茶しましょうと話してから、この状況下ではなかなか会えず。ひとまず、オンラインでお話してみることに。

少し緊張する。コミュニケーションしたことはあるけれども「はじめまして」なのか…?とドギマギしながら入室。最初の一言はやはり「はじめまして」と言ってしまったけれども、お互いのnoteを読んでいるので、とても楽しく、ゆるりとお話しすることができた。

薫さんには私のnoteを添削してもらったことがあり、それがもうめちゃくちゃ丁寧で。そのときは会ったこともないのに「とても誠実な人なんだろうな…」と感じて、会ってみたらその通りだった。丁寧で、穏やかで、信頼をすごく置けそうな。(少ししか話してないのに逆に失礼だったらすみません。)

ご縁ってふしぎだなぁと思う。

自分の意志や努力だけでは得られないもの。
でも、完全な偶然でもないもの。
意志と偶然が重なるところに、ご縁は生まれる。

「ご縁を得よう」と思って得られるものではなく、あとから「ご縁があったな」と思えるもので。だからこそ有り難い、ありがたいもので。「なんか、ふしぎな感じですよね」と薫さんと一緒に話した。

私がnoteを始めたのは、誰かとつながりがほしかったわけではなかった。ただただ書ける場所を求めて、始めた。書くことを続けていたら、つながりや交流が生まれた。そしてご縁もあった。結果的に、関係性が編まれていったのだ。

「結果的に」っていいよなぁと思う。

ついつい、目的とか目標を考えがちで。もちろんそれが悪いわけではないし、大切なことで。でも目的がはっきりしていなかったり、意味がなさそうなことを切り捨ててしまうことは、時にもったいないことでもある。

そんなにnoteを書き続けて何の意味が?と問われたら、うーんと考える。一つひとつのことに、大きな意味はないのかもしれない。でもふりかえったときに「ああ、こんな意味があったんだ」と思えたなら、とっても素敵で、すごいことなんじゃないか。そういう奇跡に出会えることが、また楽しい。

少なくともnoteを始めなかったら、続けなかったら、薫さんと出会うこともお話することもなかった。結果的にそういうご縁があったことを、心からうれしく思う。


薫さん、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。




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