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書く、とはなんだろう

よく使っている言葉を自分なりに定義すること。

それを意識的にやってみると、自分にとって大切にしていること、大切にしたいと思うことが見えてくるかもしれない。

たとえば「書く」について。
辞書(広辞苑)を引くとこうある。

①筆などで線をひく。
②文字をしるす。
③文につくる。著作する。

noteのような文章を「書く」ときに、辞書的な定義だと②③になる。文字をしるしている、文をつくっている、もちろんそうなんだけど、それは一般的な定義であって、「自分にとって」ではない。自分にとって「書く」とはなんだろうか。

これまでも「書く」についてはいろんな角度から考えてみたり、本を読んだりしてみた。書くとは、思考や感情の整理をすること。自分と向き合うこと。誰かに伝えること。どれもこれまでの経験から自分なりに考えたことだけれど、半分しっくり、半分はしっくりこない。

特に「誰かに伝える」は、今は伝えるために書いていないというのが正直な気持ち。もちろん「伝わったかもしれない」と思う瞬間はとても嬉しい。「伝わったかもしれない」という経験が、言葉を磨いてくれている感覚がある。だから一度は「書くとは、伝えることである」という定義をした。でもどちらかというと、書きながら考えている面が強くて。
「書くとは、伝えることである」と自信を持って言えない自分がいる。いつか自信をもって言える日が来たらいいな。

思考や感情の整理。自分と向き合う。これらは確かにそう。ただもう一歩深く掘れそうな予感がした。思考や感情を整理するとなに?自分と向き合うからなんなの?そうして少し掘り進めてみると、ある答えにたどり着いた。

書くとは、一歩前に進むことである。

心のどこかに、同じ場所で足踏みしていたくない、少しでもいいから前に進みたいという思いがある。現状の否定ではなく、未来への好奇心。明日が迎えに来てくれるわけじゃなくて、自分が一歩踏み出す必要がある。

思考や感情の整理でも、ありのままの内面を吐露するでも、心動いた本やnoteを紹介するでも、書くことで何かしらの形で前に進めている。自分の糧にできる。言い換えると「一歩前に進むために書きたい」という想いがある。
ほぼ毎日書いているのは、昨日よりも今日、今日よりも明日と、着実に前に進んでいる感覚がほしいという気持ちが原動力になっている。

この定義は、ずっと変わらないかもしれないし、変わっていくのかもしれない。それは前に進んでいく中でわかること。定義が変わったなと思う瞬間が来たらそれを逃したくない。だから毎日のほんのささいな文章だったとしても、真剣に向き合う。

今回は「書く」の定義について考えたけど、「読む」「ことば」「仕事」「子ども」「本」「マンガ」などなど、自分の日常に関わり深いところから、自分なりの定義を整理していこうと思う。

定義づけも、一歩前に進むことの一つ。




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