彩られていく世界

2022年1月3日。
noteを始めてから丸2年が経ちました。

毎日更新をしていた1年目。2年目は途中からゆるいペースになり、投稿数はずいぶん減った。でも「あ、今日書こ」という気ままな感じで気ままにPCに向かうことも、今は悪くないと思っている。


”書き続けてよかった”

こう思うとき、自分の中の黒い自分が、「書き続けて」を揚げ足に取り、ちくりちくりと刺してくる。ただの私的な文章でしょう。日記でしょう。趣味の範囲でしょう。「書き続けて」なんて大げさな、って。

でもね、これに抗いたい。黒い自分が刺してきてもなおわたしは「書き続けて」よかったと思いたいし、思う。

いいことがあったよと、これまでも何回か書いてきた。(無意識だったけど、タイトルがシリーズ化してる)

書き続けると、いいことがたくさんある。

けれどどんないいことがあるのかは、人それぞれだし、厳密にいえば、絶対とは言えない。「いいこと」が勝手にやってくるわけではない。

「いいこと」を起こしたり「よりよい未来」をつくろうとするエネルギーが溜まっていく、という感じかな。

過去のわたしはこう思っていたらしい。自分の言葉ながら、なるほどなと思う。確かに、いいことが勝手にやってくるわけではないよね、って。

これに加えて、マイペースに書くようになったからこそ気がついたことがある。

それは「いいことに気がつきやすくなった」ということ。ここで言う「いいこと」は「幸せ」に近い。つまり「幸せに気がつきやすくなった」のだ。

過去の投稿をふりかえる。カレー屋さん、美容師さん、工事現場の警備員さん、指輪を拾ってくれたおじさん、たまたま見かけた、信号を取り換えてくれた人たち。「仕事」とか「趣味」「学び」というカテゴリーだけで書いていたらおそらく登場してなかった人たちが、気づけば多く登場していて。日常の何気ないエピソードを書けたことが嬉しくて。書くための前段階、「気づく」ことができたのだなと、そうかわたしは「気づける人」に少し近づいたのかと、そのことがとても嬉しくて。


少し話は変わる。
昨日、あるクイズ番組がやっていた。「今まで絶対に見たことがあるもの」をテーマに、たとえば「正しいQRコードはどれ?」とか「正しいWi-Fiマークは?」という問いに対して、正答を選択肢の中から選ぶ。難易度が上がるほど、選択肢の数が増えていく。

QRコードもWi-Fiも絶対に見たことがあるのに、何ならその日も目にしたはずなのに、わからない。正解を見ると、QRコードは、四角いマークのようなものが右上、左上、左下の3か所に配置されているし、Wi-Fiマークは線が三本だし、ガストの”Caféレストラン”という文字は黄色だし、サイゼリアは”イタリアンワイン&カフェレストラン”なのだ。なんのこっちゃ。知ったからなんだという話だけれど、「目にしている」ことと「見ている」ことは違うのだど気づけたことは大きい。


「いいこと」や「幸せ」も同じなのかもしれない、と思った。

日常の中で、本当はいいことも幸せもたくさん起きてる。落ちている。転がっている。なくはない。ある。きっと目にしている。でも「目にしている」だけだとクイズの問題のように、後から聞かれても思い出せない。自分の意思で見ようとしないと見えてこないし、残らない。

書くことには意思がいる。書きたいと思うとき、そこには意思がある。自分の意思で、日常のいいことを拾い上げる。そして書く。それをくりかえしていくことで、「いいこと」がこんなにもたくさんあるのかと気づけるようになる。

何のおもしろみもないと思ってた道に、小さな花、変わった形の小石、踏むと音が鳴る落ち葉、光が差し込む陽だまりがあった。見ようとしないと見えてこないものたち。それらが世界を彩っているのだと知る。書くことは、モノクロの世界に色を塗っていく行為なのかもしれない。どんな色を塗るのかは自分次第。それをくりかえし、世界にたった一つの絵を完成させていくのだろう。


前よりもほんの少し気づけるようになった毎日は、嬉しく、楽しく、ほっとして、あたたかい。

note3年目は、どんないいことが待ってるんだろうか。それを楽しみに。

これからもよろしくお願いします。



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