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家事は、人の役に立つことを喜びとして知る第一歩

小学4年の夏休み。朝5時半に足音を立てないよう気を付けながら起きて台所に向かった。

鍋にお湯を沸かす。

豆腐を切って入れる。

乾燥わかめを入れる。

急に思い出して煮干しを2~3入れる。

味噌を入れる。

母が起きてきた。私が作った味噌汁を見てびっくりする。とても嬉しそうに笑う。

母の笑顔に満足した私は、もう味噌汁の出来不出来は気にならない。後ろで母がこっそり味を調えていたようだけど、いつものとおり妹とふざけながら朝を過ごす。

朝食の時、「ゆきこもこんなことできるようになったんだな」と父が嬉しそうにつぶやき、母と顔を見合わせる。

私は誇らしい気持ちでいっぱいになる。母が喜んでくれた。父が喜んでくれた。自分ひとりで作れた。

その日からほぼ毎朝、家族の中で一番早く起きて、味噌汁を作った。たまにお浸しなど、簡単なおかずも作った。母の笑顔が嬉しかった。

母が再入院をすると父方の祖母がやってきて家事全般をしてくれたので、私の朝食作りは中断した。

次に母が退院してきた時は、以前より体調が悪かった。朝食作りの他に、夕ご飯の後の食器洗い、お風呂掃除、末の妹の保育園のお迎えなど、手伝わなければならない家事も増えた。2歳下の妹も一緒に手伝った。

一生懸命手伝っても、手伝っても、母は元気にならなかった。母の笑顔はなく、父はいつも深刻な顔をしていて、家事を手伝う子どもたちを褒めることもなかった。

母を喜ばせるために手伝い始めたのに、いつの間にか義務と化してしまうと苦痛でしかない。毎日の家事は嫌で嫌でたまらなかった。

だから、自分の子どもたちが家事に興味を持ち始めた時も、教えようと思わなかった。子ども時代は家事なんてしなくていい、子どもらしく遊んでいるだけでいい。

そう思っていることを、たまたまママ友に話したところ、「子どもが家事をしたがるのは親のまねっこで遊びの延長なんだからさ、やらせてみれば?嫌がったらやめればいいじゃん。」と言われた。

親のまねっこで遊びの延長。そんなこと思ってもみなかった。

それ以来、子どもたちに少しずつ家事を教えるようになった。教える時に気を付けていることは、初めにゆっくり丁寧に見本を見せること、子どもがやったものを手直ししないこと。それからいっぱいいっぱい、笑顔で感謝すること。

今や、ご飯炊き(鍋で、ガス火で炊く)、夫のお弁当の卵焼き作り、夕食後の食器洗い、洗濯物たたみ、と欠かせない戦力となっている。子どもたちは嫌がるどころか、「今日の卵焼きは120点。俺すげえ。」「家庭科で毎日お料理を手伝ってる人、って先生が聞いた時、手ぇ挙げたの俺だけだった。」などと、自尊心向上につながっているようだ。

そういえば私の場合も、最初は母や父が喜んでくれることに私自身が嬉しかったのだと思いだす。

子どもにとって家事は、人の役に立つことを喜びとして知る、初めの一歩だ。


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