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「マック」って言えない

マクドナルドを「マック」と言えません。


…いや、この一文だけで終わることもできると言えばできるのですが、私にとっては頭を悩ませている問題なのです。


私の認識ではありますが、マクドナルドの略称は確か関西が「マクド」、そして関東あたりが「マック」と呼ばれるというもの。
私は富山県に住んでいるので関東とも関西とも感覚的にはなんとも判断しづらく、どちらかに振り切って呼ぶことが私にはできなかったのです。


そこで若いころの私が選んだ呼び方は「マクド」。この呼び方は20代半ばぐらいまで続きました。
どうして関西風の呼び方を選んだのかと言えば、当時は関西のお笑いにはまっており、なんとなく関西弁への憧れがあったからです。


ですが20代半ばを過ぎて、この「マクド」という呼び方…いや富山県という関西とも関東とも即判別つかないこのエリアで「マクド」と呼ぶことに、非常に抵抗と恥ずかしさを覚え始めてきたのです。

自宅と精神科病棟の往復だった20代半ばを過ぎて社会に噛めるようになってきて気付きました。「富山県民って、マクドじゃなくてマックと呼ぶ人が多い」と。
そういう発見もあってか、自分の少数派な呼び方を封印したくなりました。


でも、でも、でも。20代半ばまで…その、若いうちに吸収して根付いた言葉を変えるというのは私にとってはかなり困難なものでした。

今までずっと「マクド」と呼んでいたマクドナルドを「マック」と呼び変える。それは20代半ばになって一人称を変えるような恥ずかしさと抵抗に似ていました。

加えて「マック」という呼び方は、なぜか私にとっては「都会的な呼び方」という意識が根強く、他人が「マック」と言う分には全然気にならないのですが、自分が「マック」と言おうものなら「なにしゃれおつ気取ってんだよ自分」とツッコミたくなるのです。

というような理由から、私は今現在までマクドナルドのことを「マック」と言い換えることはできていません。そして「マクド」とも呼んでいません。


じゃあマクドナルドのことをなんと呼んでいるのか、というところなのですが、今はそのまんま「マクドナルド」と呼んでいます。

これは実際の会話となるとそこそこの違和感になることに気付いてはいるのですが、「マック」とも「マクド」とも呼べない私にはどうしようもない選択なのです。

「ごはんどうする?」
「マックでも行こうか」
「マクドナルドね、いいよ」

というような塩梅なのですが、これはこれで「なんで略称で呼べないの自分ー!!」という脳内ツッコミが始まります。どうしようもないです。


私は今後マクドナルドをなんと呼ぶようになるのでしょうか。その前に略称で呼ぶのでしょうか。
とりあえず、今は漠然としたそして切実な表現の違和感に悩まさせています。


話は変わるのですが、私は「大人になっても言い換えられなかったもの」というのをいくつか持っており、そのひとつに「家族の前での一人称」があります。
要は家族の前で「私」と言えないという話なのですが、なんとなく「自分」とか「こっちは」みたいな言い方で37年ごまかしています。


そもそも私が一人称を「私」に変えられたのは高校生になってから、と割と遅めだったのですが、それは外向きの話で。
家の中では「私」に切り替えることはできず、今では「若いうちに勇気を出して切り替えておけばよかった」と微妙に頭を抱えています。


小学生のときに母から「私って言いなさい」と一度だけ言われたことがあるのですが、そのときも恥ずかしすぎて切り替えることができませんでした。今ごく稀に家族のグループLINEで「わたし」と表記するときはありますが、それだけです。


大人になって…それも40を手前にして一人称を身内の前で変えるのは恥ずかしい。恥ずかしいというより難しい。できない。

なにか大きな環境の変化でもあれば…と自分から積極的に変えようという姿勢は今のところ見受けられないのですが、まぁなんとかなるかぁと思っている部分もあります。
一応、外向きには問題なく抵抗なく「私」と言えてはいるのでよしとします。死にはしません。


呼び方を変えるってなかなか難しいなぁ…と事あるごとに思います。

いつか私がマクドナルドのことを「マック」と呼べたなら、いつか私が家族の前で「私」と言えたなら、それはとっても困難なハードルを越えたということで非常に褒めてあげたいと思います。

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