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東日本大震災から10年 ラジオと音楽から思うこと 考えること

東日本大震災から10年。
あのとき、東京スカイツリーはまだ出来ていなかったんです。

私は当時、浅草や上野を擁する台東区という場所で、ケーブルテレビのお姉さんをしていました。震災が起こった時、仕事の関係で、ひとりで浅草に行っていました。物凄い揺れに驚き、道路にヘタヘタと座り込み、しばらく放心していました。情報を確認するために、サービスを始めたばかりのradikoをつけて、東北が大地震に見舞われていることを知りました。

家には帰れないので局内で一夜を過ごすことになりましたが、テレビに映し出される情報が嘘のようで。途中で目が覚めて ”夢だった” と思えたらどんなに良いことか…と思いました。深夜にラジオを聞いていました。いつもの番組のDJはトークをせず、インストの優しい音楽が流れる中、ニュースを入れたり、注意を呼び掛けたりしていていました。映像での情報はないけれど、番組がいつもと違うことで、ゆっくりと現実を受け入れていたように思います。
私は、J-WAVEを聞いていたのですが、朝方に初めて歌詞付きの曲が流れました。マイケル・ジャクソンの「Human Nature」と、スティービー・ワンダーの「Ribbon In The Sky」。この2曲は忘れられないです。

radikoでは、311 VOICE Messageという企画をやっていますね。

今年、震災から10年。私は、CDショップ大賞などを運営しているミュージックソムリエ協会で、東北地方で音楽と関わる、3名の方にオンラインでインタビューする機会をもらいました。

1人目は、気仙沼出身で、いまも気仙沼で暮らしているシンガーソングライターの熊谷育美さん。震災時には、地元 気仙沼にいました。一度は歌手活動をためらったそうですが、地元の方々の激励もあり、歌い続けました。避難所や営業再開をしたお店など、どんな場所でも歌を届けてきたそうです。
2人目は、全国のレンタルビデオ・CD店をまとめる、日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合 専務理事の若松修さん。若松さんは、震災時には仙台郊外での会合に出席。東京に戻ったのち、自家用車で再び東北へ行き、被害店舗の様子を視察しました。跡形もなくなった陸前高田市の避難所を拠点に、三陸地方で再び娯楽を提供できるように奮闘されました。
3人目は、銀座山野楽器 仙台店の三浦良介さん。震災時には、お店で接客をしていました。その後、被災者でありながら、店舗再開のために奮闘。お店再開時には、多くの方が来てくれたこと、そして今でも、あの時に紛失してしまったCDを買い求めに来るお客様がいることを教えて下さいました。

正直なところ、お話を聞くにあたり、当時の事を思い出させてしまうことが心苦しかったところもありました。それでも、みなさん当時のことを冷静に、でもその時の様子が伝わるように話して下さいました。

音楽とか娯楽って、お腹がいっぱいになるわけでも、雨風をしのげるわけでもないんですけど、それでも励まされたりとか元気が出たりとかするものですね。ハード面でなく、ソフト面で必要なものではないかと思っています。

東日本大震災以降、さまざまな災害がありました。その間に私は、ラジオパーソナリティとしての仕事をし始めました。
熊本地震の時は、朝の番組を始めたばかりでした。情報を読むので精一杯で、本当に何もできませんでした。
大阪府北部地震は、ちょうど放送中に起こりました。大阪は、親戚や友人もいる場所で "落ち着け" と自分に言い聞かせておりましたが、原稿を読む手が震えていました。

ラジオのスタジオには、地震が起こった時に読む原稿のテンプレートが置いてあります。いつ、何を、どう読むのか?を確認できるようになっています。
スタッフとのチームワークで、情報を整理して、何を伝えるか?などを相談して、地震の情報を読んでいます。(これは豪雨や台風も同じです。)

被害が比較的小さいと思われる、小さな揺れについて読むのも、やはり緊張します。これが大きな揺れだったら、まさにその震源地だったら、私は何が出来るんだろうか?と、原稿を読んだ後に思っています。

災害時にラジオが出来ること。たくさんあります。
それが正確な情報なのか?聞いているひとは何を求めているのか?私たちは何ができるのか? ということなんですよね。大げさにやるのではなく、常にそういうことを考えることが大事なのかなと思っています。

radikoでは、「ラジオの証言~災害を語り継ぐ」もやっております。

なんだか長くなりましたが、毎年この時期になると、こんなことを思いながら仕事をしています。

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