人は鏡と言うけれど、本当に鏡だった

通勤電車の中、私は入り口付近に立ってぼ~っと外を眺めていた。
するとちょうど車窓と同じくらいの高さのマンションの窓から、一人の女性が外を眺めている姿を見かけた。
女性だと思ったけど、距離も離れているので確かではないし、表情などまったく見えない。

その日はとても良い天気で、これから仕事に向かわねばならない自分をちょっと嘆いていた。だから私には彼女が、今日はお休みでしかもこんなにお天気もいいから、のんびり外を眺めて穏やかな気持ちを味わっているんだろうな・・・いいなぁ~・・・そんな風に思いながら見ていた。
が、すぐに疑問が浮かんだ。

あれ!?これって私の勝手な想像で、実際の彼女がどうなのかはわからないよね・・・!?なんで私真っ先にそう思ったんだろう・・・???

本当の彼女は、朝のひと仕事を終えて、疲れたぁ~と思いながら外を眺めていたかもしれないし、最近あまり元気がない中でたまたま外を眺めただけかもしれないし、本当の真実は全くわからない。
事実は、

一人の女性が窓の外を見ていた。

これだけ。
なのに私は勝手に彼女の心境を作り出していたことに気づいた。

その心境はまさに自分の心。
私は彼女に自分を映していたことに気が付いた。。。

「人は鏡」という言葉は知っていたし、そうなんだろうなとも頭ではわかっていたつもりだったけど、わかっていなかった。まったくもってわかっていなかった。

今まで私はこの世界に何を見てきたのだろう。
これまで自分が自分以外の人や物に対して抱いた感情がすべて自分ならば、
私は本当にその人、物のありのままを見ていたのか?
そもそもありのままの姿とはなんなのか・・・?

そして他人が自分の鏡ならば、私も同時に誰かの鏡になっているということ。私の周りにいる人は、私に何を映しているんだろう・・・。

そんな思いを巡らせているとき、ふと甥っ子たちのことを思い出した。

甥っ子が出来て、私は初めて子供と一緒に過ごすという時間を得ることができた。子供はかわいいと思っていたけれど、こんなにもかわいいのか!ということを教えてくれたのは、まさしく甥っ子たちにほかならない。

そのかわいい甥っ子たちが全身で楽しそうに遊んでいる姿や、心からの笑顔があまりにも純粋でキレイで、私は度々涙がでてしまうことがあった。
年を重ねると涙もろくなるっていうのはこういうことかと思っていたけど、あれは私の中の純粋さを甥っ子たちに映していたんじゃないだろうか!?
ということは、私は自分の中の純粋さに感動して涙していたのか!?

あんなにキレイな純粋さが私の中にあることに嬉しさを感じつつも、それ自体が自分の中で何かに覆われて隠されているような気もして、少し複雑な気持ちになったが、私が何を相手に映すかは、私の中から出てくるもの次第。隠された純粋さが表舞台に出られたら、私も誰かの純粋さを映せるようになるのかもしれない・・・。

家の鏡も心の鏡もキレイにしておくに越したことはない。







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