大好きだったうどん屋での素敵な出会い

池袋西武に「かるかや」という、うどん屋があったのですが、2024年6月30日をもって閉店されました。

「かるかや」は屋上にうどんが食べられる店舗と、地下1階に麺だけを買える店舗がありまして、私はもっぱら麺のみを買うことが多かったのですが、ここのうどんがとても好きで、池袋西武に寄るとよく買っていたのです。

以前は池袋に行くことも多かったのですが、最近はあまり行くことがなかったので、たまに立ち寄る程度でした。


いつもは並ばずに買えていたのですが、5月の下旬くらいでしょうか。久しぶりに寄ってみると、

“最後尾はこちら”

のプラカードを持った人がおり、行列が出来ていました。
こんな光景を見たことがなかったので、いったい何があったのかと不思議に思い、そばにいた店員さんに聞いてみると、うどんを打つ方が一人しかおらず、最近は14時30分からの販売で、だいたい16時30分には終わりますと言うのです。ここ最近はいつも行列になっているとのこと。

サクッと買って帰るつもりだったのですが、まったく予期せぬ状態でどうしようか悩みました。元々並んでまで買うことはよほどのことがない限りしないほうでしたので、あきらめようかとも思ったのです。
しかし、もしかしたら今後は並ばないと食べられないかもしれないし、次にいつ来るかわからないなという思いもあったので、覚悟を決めて並ぶことにしました。

地下のうどん屋はお店の中で麺を伸ばして切っている職人さんがいて、ガラス越しにその光景が見られます。
通常時はすぐに販売できるように、箱詰めされた商品が店頭のショーケースに並んでいるのですが、この時はケース内は空で、職人さんが生地を伸ばして切る作業を待たなければならない状況でした。
一つの生地から数箱分しか商品が出来ないため、かなり時間がかかるだろうことは容易に想像がつきました。

正直なところ待つのも楽とは言えません。しかも今までは並ばずに買えていただけに、ちょっとため息も出てしまうような心境にもなったのですが、職人さんが休む間もなく、生地をのばして切ってを繰り返しているのを見たら、いつもと同じようにサクッと買えないことに不満を抱いている自分を少し恥ずかしく感じてしまいました。
どうせ並ぶのだから、嫌な気持ちではなく一生懸命作ってくれていることを有難く思いながら並ぼう。そう心を入れ替えて、列に並んだのです。


私の前には70代くらいの女性がいました。彼女は友人らしき人と来ていたようですが、友人の方は買わないのか、列から外れたところで職人さんを見ていました。
私がその二人が知人同士だと知ったのは、その友人の方が立っていた横に私たちの列の場所がさしかかった時に、前の女性がその方に、

「結構時間かかりそうだけど、大丈夫?」

と声をかけたからです。友人の方は

「大丈夫、大丈夫!職人さんの作業見ているの楽しいから平気よ!」

そんなやりとりを交わしていました。

彼女が友人の方とこの会話をするまでにも、それなりの時間を並んでいたのですが、先頭までにはまだまだ時間がかかりそうです。おそらく思っている以上に待たせることになってしまうだろうなと、私は内心思いながら聞いていました。

時間とともに順番が進み、私たちの場所も少しずつ動いていき、やっと半分くらいまできた頃でしょうか。
前の女性は自分の位置から見えなくなった友人の方が気になったのか、友人のいるであろう方向に体を伸ばしながら視線を向けました。
私は彼女が思っていたよりも列が進まず、時間がかかりそうなことが気がかりなのだろうと思い、

「よろしければ、この場所は確保しておきますから、お知り合いのところに声をかけに行かれても大丈夫ですよ?」

と、一応声をかけてみました。

「大丈夫!彼女は大丈夫よ!」

彼女は笑顔でそう答えました。それだけのつもりで声をかけたのですが、私も少し退屈していたのもあって、

「結構かかりそうですね。」

と、さらに声をかけたのです。まだかかりそうな待ち時間を、ちょっと会話しながら過ごせたらいいなという気持ちもあったのですが、彼女も不快には思わなかったようで、そこから彼女との会話が始まりました。

聞けば彼女は今日友人と一緒に植物園に行き、その帰りに立ち寄ったとのこと。うどんは初めての購入のようでした。

一緒に来られた友人とは実に60年ほどのお付き合いなのだと。高校時代の仲良し3人グループが、今でも交流があって、出かけたりしているのだそうです。もう一人の方は都合が悪く今日は来られなかったそうですが、そんなに長い友人関係だと聞いて驚きました。

それぞれ生活環境が変わる中で、どうつながっていたのかを聞いてみると、電話や手紙のやりとりをしながら今日に至るとのこと。
今だったらメールやLINEなど、手軽な手段はありますが、当時は電話が主体。それを思うと、決して無理をしてつないできた関係ではないにせよ、その歴史に重みを感じました。
手紙のやりとりというのも、今となっては温かみを感じます。

もっとも私の若い頃には雑誌の後ろに、”文通相手募集コーナー“があって、同世代の友人には文通をしていた人もいましたから、当時のコミュニケーションツールとして珍しいことではないのですが、書くことが少なくなった今の時代に聞くと、そのアナログ感に懐かしさと情緒を感じてしまいます。

それだけではありません。高校時代に知り合ったのであれば、その先の人生において価値観が変わり、それによって気が合わなくなることもあるはずです。それを考えるとさらに驚きです。

「60年以上というのは、すごいですね!」

「よく言われるわ(笑)。もうなんでも言い合えるから気が楽だし、主人と旅行に行くよりも気が楽で楽しいのよ(笑)。」

「喧嘩になったことはないんですか?」

「ないわねぇ~。なんだか気が合っていたのよね~。」

私は顔もわからないのに、高校生時代の三人が教室で楽しそうにしている姿を想像していました。
今、目の前にいる彼女はとても楽しそうに語っているけれど、その道中には色々なことがあったのだと思います。
学生生活を終えて、結婚や子育てで悩むこともあったり、決して楽しいだけの時間を過ごしてきたわけではないはずです。そんな人生の旅の中に常に存在していた友人達。
お互いの人生に触れながら、笑ったり、怒ったり、泣いたり、色んな感情を味わってきたはずです。友人の存在はきっとお互いの支えにもなっていたでしょう。。
私は彼女の語る言葉に、彼女が費やしてきたであろう時を感じていました。

「素敵ですね。」

「フフフ(笑)楽しいわよ!一人の友人は自分で野菜を作っているんだけど、食べきれないからと言って送ってくれるの。最初はお返ししていたんだけど、最近はもう有難くいただいちゃおうと思って、なんにもしていない。本当に気楽な関係なのよ(笑)。」

そんな会話を重ねていたら、あっという間に順番が回ってきました。さっきまでの長い待ち時間は素敵な出会いによって、楽しい時間に変わっていました。

「おかげで楽しく待ち時間を過ごせました。ありがとうございます。」

「素敵なご縁をありがとう!またここでご縁があったら(笑)」

「こちらこそ、よい一日を!」

彼女は去って行きました。
そしてこの日が私にとって「かるかや」最後の日となったのです。
閉店を知ったのは、すでに閉店した後のことだったのですが、もうこのうどんを味わえない淋しさと同時に、彼女のことを思い出しました。

またここで縁があったら・・・ここでの縁は本当になくなったんだ・・・。
彼女も閉店のお知らせは知っているのかな・・・。

そんなことを考えながら、もう会うこともない彼女と、最期に買ったうどんを思い出しながら、ひとつの終わりを感じていました。


「かるかや」さん、美味しいうどんをありがとうございました。

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