「九段理江さん×柴田元幸さん『東京都同情塔』『冬の日誌/内面からの報告書』特別対談」の感想

ライブは見られなかったので、アーカイブを購入した。

柴田元幸氏については、1回大阪の朗読会行ったことあるかも。
その時も思ったのだが、
柴田氏っていい人なのが雰囲気から滲み出てるよね。

「翻訳の仕事が好きなのは、全体を見なくていいんですね。『木を見て森を見ず』とか言うけど、森を見る必要はほとんどない仕事で、1本1本の木に集中してれば、自ずと森は皆が見てくれる仕事なんで。全体の構造とかは考えずに訳してるんですよね」

柴田元幸氏のコメントより

とおっしゃられているのが印象的でした。

えっ、私は全体見ますけど……?
(ちなみに私がやってるのは医療分野の翻訳。
全体的に論理が通っているか、訳語が統一されているかなどを確認する)
まぁ、分野とか人によって翻訳のスタイル違うのかもしれない。

九段氏は、受賞作の『東京都同情塔』を含めて、
作品に「要素が多過ぎる(詰め込み過ぎ)、的が絞り切れてない」と言われるらしい。

私は要素を出し過ぎてるとは思わなくて、自分はいいバランスでやってるとは思ってるんですよ。というか、世界があまりにも複雑過ぎるから(私にとって)、その複雑さをちゃんと表現、正確に書こうと思うと、こういう形になるしかないというか。そこが難しいんですよね。

九段理江氏のコメントより

ちなみにアメリカ文学を読むことが多いという柴田氏からすると、
詰め込み過ぎという印象は全くなかったらしい。

九段氏は、『しをかくうま』の執筆には1年以上かかったが、
『東京都同情塔』は2ヶ月位で書いたという。
九段氏は主人公の牧名沙羅視点の文体よりも、拓人(主人公と恋人関係?にある年下の男性)視点の文体の方が書きにくかったという。

柴田氏は『東京都同情塔』を読んで、言語「姦」覚という言葉を思い出したという。
世の中で流れている言葉への違和感みたいな)

話題は変わって、「言葉には正解がない」という話になった。
九段氏は、「ChatGPTを使って書きました」という記者会見がものすごくニュースで広まってしまい、
小説家というよりは、生成AIで創作をした人という感じで紹介されて、色々なところに呼ばれ、意見を求められたという。
それは「言葉には正解がない」からこそ、皆自分に意見を求めたのでは?とおっしゃっていた。

ちなみに『東京都同情塔』は来年英語の翻訳が出る予定らしい。
私は翻訳者だが、文芸分野の翻訳はしない、というかできないのだが、
この話日本語以外で成立するのか??と不思議に思う。
どうやって英語に翻訳するのか純粋に疑問だし、翻訳者の力量が試されると思う。
(多分英語版出たら買うと思う)
柴田氏が好きなエリオット・ワインバーガー氏の言葉で、
「翻訳不可能な作品というものはない。翻訳不可能と言われている作品は、まだその作品が訳者を見つけていないだけだ」
というのがあるそう。

あと、「生成AIと翻訳」の話題について。
柴田氏は、「この年だとあんまり考えなくてもいいかな。もうそろそろゲームオーバーなので」とのこと。
逃げ切り世代羨ましい。
(自分はまだ30代後半なので、どう考えても逃げ切れないので、
AIとちゃんと向きあって対応しないといけない


全体的に、柴田氏と九段氏の2人のやりとりがおもしろかった。

今は生成AIでいくらでも自動でコンテンツが作れてしまう時代なので、
これからは人と人とのやりとり(インタラクション)から生まれるコンテンツに価値が出てくるのかも。

ちなみに自分の話になって恐縮だが、私もあるイベントに登壇する予定で、
そのイベントでは他の方とのディスカッションもある予定なので、
視聴者様におもしろいと思ってもらえる話の展開ができるといいな。


参照:
私の『東京都同情塔』の書評はこちら


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