神(金星)と交信する漢字

漢字が成立したのは、呪術国家と言われる殷の時代。
神と交信するために漢字は作られた。
その後、換骨奪胎して周で用いられる。
元々の漢字の意味を探るためには、神とは何かを明らかにする必要がある。

古代の人々にとって、自然の森羅万象が神であった。
呪術国家と言えど、自然観察の視点はあったと思う。
むしろ、それを踏まえて国家は作られていく。
その意味で気象や天体観測は非常に重要になる。
種まき、収穫の時期や雨の季節など知る事は国家運営の要になる。
つまり、それを示す漢字が作られているはずである。

その意味で、周代以降の概念を除去しないと本質に辿り着けない。

おそらくだが、殷の国は、夜の国だった。
庶民は農耕など昼の生活をしていただろうが、
王や神官らは違った。
夜空から神の声を聞いた。

時間の概念は、太陽を基準にすれば24時間=1日である。
これは太陽基準の概念であり、月を基準にすれば、違う表現となるだろう。
30日かけて一巡する月。

月は、夕とほぼ同様の象形である。
夕は夕べの月の形、半月の形。時に中点が入る。
だが、月が半月になるのは、上弦下弦の月であり、見える時間帯は異なる。
夕は、上弦の月の頃を言う。

ただし、朝令暮改というように、朝の対は暮。
暮は艸艸と日とに従う。日が草間に没しようとする字形。

朝は、艸と日と月に従う会意文字。
甲骨文字では、月は影。草間に日と月影が見え隠れする様。
日は太陽の形で、中に小点を加えてその実態があることを示すと言うが、そうではない。
中の小点は、金星を指す。
つまり、朝暮の概念は本来、太陽基準の概念ではなく
金星基準の概念であった。

朝とは、明けの明星の頃。
暮とは、宵の明星の頃。

昼は日が覆われて暗い様子をいう。
太陽基準なら、昼は明るいはず。
つまり、昼は太陽により金星が見えない時間。

明は、日と月からなる会意文字だが、
本来「日」は、太陽を指す漢字ではなかった。
「光の中の光」を表す漢字であった。
日は金星を指していた。

古代、日は実と同音であり、金星と実りとが同義であったと推測する。
金星はイナンナ、イシュタル、アフロディーテなど豊穣の女神とされるのにも一致する。

夜は、大と夕に従い、大は人影が横斜している形、
夕は夕方の月とあるが、月の明かりで人影が地面に生ずる様を示していると思われる。
影は実物より大きく見える、故に大となった。
人が臥して寝る時間を言うわけではなかった。
人影を生ずる程明るい月の頃を夜といった。

殷は、金星暦を採用していたのではなかろうか。
また、光そのものでなく、その影に注目しているようにも感じられる。
影は「かげ」と「ひかり」の両方の意味をもつ。

卜辞に547日という日数の表示がある。
これは一年半の日数であるが、
金星の会合周期は584日で内合8日外合90日
その他が明けの明星、宵の明星で分けられる。
つまり間もなく夜明けだと知らせる数字となるのではないか。

宵の明星から転じて内合後、明けの明星へと変貌する。
その一ヶ月前の月の始まり。29日+8日(内合期間)。
これが本当の夜明け前。

朝と夕こそ、金星のための時間であった。
夜は金星が完全に姿を消す月の時間。
昼は、太陽の光で見えなくなる太陽の時間。

何故こんなにも金星にこだわったのか?
殷の漢字は、妊婦を鞭打つ形である。
妊婦ー豊穣と深く関わる。

そこには、私達現代人ではわからない自然界の法則が存在しているように思われる。
マヤ文明も、金星暦を採用している。

殷の人々にとっての絶対神は金星であった。
それを漢字が示してくれている。






















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