天文学からみた古事記ー高天原とは 

国立国会図書館HPより引用
暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わりました。大和朝廷は百済(くだら)から暦を作成するための暦法や天文地理を学ぶために僧を招き、飛鳥時代の推古12年(604)に日本最初の暦が作られたと伝えられています。
暦は朝廷が制定し、大化の改新(645)で定められた律令制では、中務省(なかつかさしょう)に属する陰陽寮(おんみょうりょう)がその任務にあたっていました。
陰陽寮は暦の作成、天文、占いなどをつかさどる役所であり、暦と占いは分かちがたい関係にありました。平安時代からは、暦は賀茂氏が、天文は陰陽師として名高い安倍清明を祖先とする安倍氏が専門家として受け継いでいくことになります。当時の暦は、「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」または「太陰暦」、「陰暦」と呼ばれる暦でした。

1ヶ月を天体の月(太陰)が満ち欠けする周期に合わせます。天体の月が地球をまわる周期は約29.5日なので、30日と29日の長さの月を作って調節し、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼んでいました。一方で、地球が太陽のまわりをまわる周期は約365.25日で、季節はそれによって移り変わります。大小の月の繰り返しでは、しだいに暦と季節が合わなくなってきます。そのため、2~3年に1度は閏月(うるうづき)を設けて13ヶ月ある年を作り、季節と暦を調節しました。大小の月の並び方も毎年替わりました。

暦の制定は、月の配列が変わることのない現在の太陽暦(たいようれき)とは違って非常に重要な意味をもち、朝廷や後の江戸時代には幕府の監督のもとにありました。 太陰太陽暦は、明治時代に太陽暦に改められるまで続きます。
以上引用。

暦と天文と占い、この3つが古事記の物語の骨格になる。
切っても切り離せなかった3つが、別れていく過程。
天地(あめつち)のはじめから始まる物語。

高天原になりませる神、天之御中主神。
古事記で天は阿麻と読むよう指定される。
阿とは麻とは。
阿の訓「くま」
麻の訓「あさ」
おそらく夜空の中心に座す、北極星を暗示。
現在の北極星は、こぐま座にある。
12000年前の北極星は、こと座のベガ。
織姫。麻を織る。
北極星は、地球の歳差により2000年毎に移動。
25800年周期で元の場所に戻る。
つまり現在の北極星とベガは対極にある北極星同士といえる。

歳差がもし無ければ、軸の中心ー天極は、りゅう座の腹の中にある。見えない場所。

つまり、天地創造の時、天の中心にあったりゅう座の腹の中こそ、天之御中主神。天文のはじまり。

高御産巣日神は、時間。
神産巣日神は、数字。

空を見て、人類は時を知った。
また、数字を知って、その記録を処理した。

この三柱の神は独り神で、身を隠した。
見えない神々。
だが人類を支配する神々。

この点を踏まえれば、古事記の全容が解明される。

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