太占の始まり 宇摩志麻遅命

神武天皇に降った邇芸速日命が登美毘古の妹、登美夜毘売にあいて生める子、宇摩志麻遅命。
物部連、穂積臣、(女に采)臣の祖

宇摩志麻遅は、耳から入る響きは
うまし・まち(まじ)
美しい(巧みな)・まち
「まち」とは何か?
太占で骨の表面の割れ目の模様をいう

太占(ふとまに)は古事記では布斗麻邇と記す。
「ふと」は美称とされるが、本当だろうか。
むしろ、何を占っていたかを示していると考えられないだろうか。

布は、形声で古い字形は斧に作り、声符は父。
父は斧の頭部の形「I」と「又」(右手の形)とに従う。
矩(く)なりと訓し、右手に杖(または火)をもつ。
斧は「きるなり」刑具に用い、また指揮をとるときの儀器である。

斗は、柄のあるひしゃくの形。柄杓は水を汲む道具。

布斗が示すのは、東の空(右側)をはかる、切り出す。
水の時期・量をはかる。

太占とは、もともと水の量を知るため、東の空を観測し骨に彫って記録していたことを示しているのだろう。

宇摩志麻遅の漢字ー視覚情報からは太占が行われていた場所や方法がわかる。
宇(㝢)は、う、のき、おおきい
声符は于。于に大なるもの、曲がれるものの意味がある。
軒先を意味すると説明があるが、この文字の象形は、宀(ベン)の中に禹がある形。
宀は屋根、禹は雌雄2匹の龍の交わる象形。
龍は頭に辛字形の冠飾をつけた蛇身の獣の形。
説文には「龍は春分にして天に登り、秋分にして淵に潜む」とある。

雌雄の龍が屋根の下にある。
おそらく宀は日陰。
雄龍は明けの水星、雌龍は宵の明星を指すと思われる。
雄龍は東の空の水星の軌跡を
雌龍は東の空の金星の軌跡を
それぞれ象形化したものだろう。

漢字を生み出した一族にとって太陽の光は星の光を覆う屋根として認識されていたと推測する。
太陽の光に隠されてしまう水星と金星。
日陰の惑星。
宇は、合を指していたのだろう。
そして合は、水の時期を知らせる
宇(う)は雨(う)

摩は、ま、ば、こする、みがく、へる
説文では「研ぐなり」とあり、両方を擦り合わせること
崖などに書画を浮き彫りにしたものを摩崖という。

宇摩は、内合(周期)を擦り合わせる。浮き彫りにする意味がある。

志は、しるす。

遅は、ち、おそい、おくれる、まつ
遅は、犀もしくは「い」(尸辛)声。
「い」声の場合、その声は也(池)・台(治)の例が多い。
「尸辛」辛は大きな直針の形で、尸は屍の形。横たわる形。
おそらく横たわる身体に文身を施す意味があるのではなかろうか。
屍は、龍の死体であり山。
山は水源の目印。

宇摩志麻遅は、水星と金星の内合のタイミング、水源を知らせる山

その宇摩志麻遅から生まれたのは
物部連
穂積臣
女采臣
それぞれが太占から分化され、専門性を帯びていく。

水の時を知る天体は、太陽暦でも太陰暦でもなかった。
水星と金星
日陰の一族。そして山を守る森人であった







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