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#日常

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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葦毛の仔馬

午後、図書館へ頼んでおいた本を取りに出掛けた。その途上、蒸し暑い曇り空の下を、涼しげに着飾った女の子が横断歩道をわたってきて、自分の数メートル先を歩いて行く。十六、七くらいにしか見えないが、日本の女は歳より子供っぽく見えることが多い。ことによるともっと上なのかもしれない。顔はよく見えなかったが、あまり器量はよいほうでもなさそうだ。赤味のあるブロンドに髪を染めていて、前髪が気になるのか、歩きながらずっといじっている。団地の方から出て来たので、中流でもあまり豊かでないほうの家庭の

適当なピクルス

青梅やらっきょうが出る頃、毎年ピクルスを漬けている。 キュウリ、セロリ、ミョウガは外せない。あとは気分とタッパーの隙間に合わせてにんじんや玉ねぎやパプリカなど。 ざくざく切って湯通しして、よく洗って乾かした筒型のタッパーに詰める。 ピクルスは大学生の頃からやり出したのだが、昔はちゃんと酢や砂糖を鍋で一度沸騰させて液を作り、容器も煮沸消毒した耐熱容器で、とかやっていた。台所に広がるむせるような酢の香りも、悪くないと思っていた。 それが年々楽を覚えて、今年はタッパーに野菜を

昨日は一人前夜祭をして少しお酒を飲んだ。久しぶりの気怠さに、健康診断が終わったからいいのだと言い訳をする。 今日は午後年次をとって、例のライブ鑑賞の準備をする。 ふわふわした気分。完全に浮かれている。 現実逃避もいいところだが、たまにはこんな日があってもいいのだと思う。

ふきの話

ふきを煮ることにした。 ふきは数ある山菜の中でも扱いが簡単で、しかも仄かな苦味とシャキシャキの歯ざわりがいかにも山菜らしくてとても好きだ。 とはいえ、ふきの味が恋しくなり、自分でやるようになったのはここ数年のこと。それまでは全然、思い出しもしなかった。 昔は私にとっての山菜ランキングで不動の第一位は筍、第二位はたらの芽だった。ふきはというと、ランク外。 しかし、山菜類のアク抜きや天ぷらを自分でやることの面倒さといったらなく、一人暮らしで食べ切れるぶんだけ美味しく作ることも

大人になること

子どものころ、私にとって世界は、興味がある(=すごく好き)と、興味がない(=どうでもいい)の二種類しかなかった。 興味があるものについてはのめりこんでもうそれ以外の選択肢なんてありえない、となるが、興味がないものや自分の満足を越えた部分には、ものすごく適当でいい加減になり、手抜きもひどかった。嫌いという感情はほとんど持たず、何かを選ぶときは大概絶対の一択かなんでもいいかのどちらかで、たとえば何かの希望を第三希望まで書くとしたら、第一希望を三回書くか、白紙かのどちらか、という