マガジンのカバー画像

とても好きなNote

307
時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
運営しているクリエイター

#宗教

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

有料
200

「解散命令請求」は何を解散させるのか

 旧統一教会に対する解散命令請求が今月13日になされたことで、「政教分離」が一部でまた話題になっているようである。ただ、政教分離の基本的な理解について、本noteでは上掲のツイートに引いてある過去エントリで、既にまとめて述べてあるから、本稿では今回行われた解散命令請求というものの性質について、基本的な情報をまとめた上で、私見も簡単に示しておきたい。一部SNS等をみる限り、知識人というべき方々であっても、この請求の性質について、誤解をしている人が少なからずいるように思われるから

有料
300

みんな宗教に「騙され」たくない

 1年前のエントリで予測した未来が、着々と現実化しつつあるなあと感じる、昨今の世相なのである。

有料
300

「やめてしまえ」というのは簡単だけど

 私は昔から、「宗教者はまず何よりも宗教をやるべきだし、彼岸や来世や死後の救済のことも、それが信仰や教理の核心なのであれば正面から説くことが望ましい」といった話を何度となく述べてきた。たとえば、本noteでも下掲の過去エントリなどでそういった趣旨を(理由とともに)記してきている。  ただ、「そうはいっても自分の立場でそれを実行するのは難しいよ」と、ひそかに思うであろう方々はたくさんいるだろうということも、私なりに一定の理解はしているつもりだ。

有料
300

どこに行ってもエトランジェ

 先日のキャスでは某読書会で扱われている著作について軽くコメントするつもりでいたところ、なぜか長々とサーンキヤ哲学にまつわる私見を述べることになってしまった。以前のエントリで述べたとおり、最近は個人的に瞑想を楽しんでいるので、関連する話題について話せる機会があると、つい早口オタクになってしまうのである。 (※録画視聴パスは、9月1日のエントリより取得できます。)

有料
300

他人の心まで一律に「正しく」したがる全体主義者たちのこと

 というわけで、5月も終わりである。なんだかあっという間のひと月であった。  これはリンクした過去記事に詳しく述べてあるとおりのことであって、従来から何度も語ってきた話ではあるのだけど、今月の諸エントリに通底する問題意識に関わるテーマでもあるので、新たな観点も入れながら、いちおう再説してみることにしよう。大切なことは、やはり2回でも3回でも、繰り返し書いておいて悪いことはない。

有料
300

「それ以外のもの」を知らない人たちは外圧でしか変われない

 昨日のエントリでふれた「もっとこういえば」の部分については、さっそく日曜夜のキャスで「追っかけ説明」をしておいた。激ヤバ「改正」の件については本当に激ヤバであるし、今後の我が国の行く末にも相当に影響を及ぼす話であると思われるので、できればこちらも多くの方々にご視聴いただきたい。 (※録画視聴パスは、5月1日のエントリより取得できます。)

有料
300

他人の眼のなかの塵

 先日、不幸を招く青ざめた鳥のSNSで、随分と適当な発言をみて閉口してしまった。当然、キリスト教については何もしらない人の発言だから目くじらを立てることが可笑しい。とはいえ、やはり反応してしまう。上掲イエスの言葉を思い出し、心に反省が去来した。  陰謀論やスピ系、または床屋居酒屋井戸端で、ひとは語る。「本当のイエスは~だった」と。この手の発言は基本的に失禁と同様であり、要介護でないかぎり自分で始末をつけてもらわねばならない。「イエスは宗教に利用された」「聖書の~は、要するに

有料
500

教理的に正しいとは必ずしもいえない対応が、宗教を支える機序について

 楽しく進行中の『仏教と儒教』読書会であるが、そこで「僧侶は世俗的問題に関する相談について、どのように対応すべきか」という話題が出た。

有料
300

私の中で繋がってしまっていること

 というわけで、2022年最後のエントリである。光陰矢の如しという決まり文句をいいたくなるのは毎年のことだが、とはいえ今年も、実にいろいろなことがあった。

有料
300

陽報のない社会において、普通の人が陰徳を積むことは期待できない

 これは要するに、私たちが(本質的に超越性を帯びざるを得ない)道徳の感覚のみならず、世間的な同胞感覚まで失ってしまったことの帰結なのである。

有料
300

宗教者は宗教をやらないとダメ

 当たり前すぎるほどに当たり前の話なのだが、「宗教者は宗教をやらないとダメなんだなあ」ということを、最近はよく考える。もちろん、私自身は宗教者ではないので、これは単なる個人の手前勝手な願望の表白にすぎないのだが。

有料
300

警戒をしているようで実はガバガバ

 昨日のエントリで信教の自由の話をたまたましたところ、先月話題となった以下の件を取り上げ忘れていたことを思い出した。  これも実に酷い話だったと私は思っているが、その「酷い」の内容は、ひょっとしたら多くの読者の方々が感じたそれとは、かなり異なっているかもしれない。

有料
300

人権保障の後退を、むしろその進歩と捉える処置なしの方々

 最近は本当に、こういう基本的なところについて社会の「底が抜けて」きたなあと思う。

有料
300