ハングリー精神と欲求
以前、サッカーの本田圭佑選手は世界で戦える人の条件についめ、ハングリー精神が大切だとインタビューで語っている。
そして、ハングリー精神を持つ人の条件として相対的な貧困層の育ちであると続ける。
言われてみると、戦後の名作漫画には貧困層出身の主役ばかりだ。
「あしたのジョー」や「巨人の星」、「ドカベン」。みんなそれぞれ相対的に見て貧困な家庭で育っている。※矢吹ジョーに関しては家庭を描くシーンこそないものの、ジムやドヤ街などヒロインの白木葉子と比較した場合、明らかに貧困層として描かれている。
戦後、日本全体が貧しかった時代を経て、国民全員で日本を復活させた。ピープルズチャンプも貧困から生まれている。
信仰や軍隊的な刷り込みではなく、マインドを変える。大人になってからも根性やハングリー精神を育成する方法論を確立することが今後大切になってくるのかもしれない。
ーー人について考えるのが好きだから、ビジネスにも楽しさを感じられるのですね。ここからは「世界で戦うこと」についてお伺いしていきたいのですが、人好きな本田さんから見て、世界で戦える人と、そうでない人の差って何だと思いますか?
本田:じゃあ、サッカーの経験をもとに話していきますね。まず、世界を目指すためには、ハングリー精神を持つことが肝心です。そして、強いハングリー精神を持つ人の条件については、僕は明確な仮説を立てています。
(中略)
本田:答えはすごくシンプルで、「相対的な貧困層として育った人」であることです。たとえば日本やニューヨークのように、世界的に見て裕福な地域で生まれたとしても、相対的に貧困な家庭で育った選手は、強いハングリー精神がある。反対に、貧しい国で生まれたとしても、相対的に裕福な家庭で育った子は、ハングリー精神が弱い。
ハングリー精神
では、改めて「ハングリー精神」について考えてみたい。
ハングリー精神とは、恵まれない環境から脱出するための強い気持ちだと僕は解釈している。
相対的な貧困層出身者は常にストレスと隣り合わせにある。「何で自分はこんな状況なのだ」と自分を変えることで上を目指そうとする。
そのエネルギーが世界で戦うための原動力であり、自分を突き動かす糧になるのだ。
欲求に飢える。欲望に飢え続ける。喉から手が出るほど欲しいものを手に入れられないストレスを抱えながら、開放のチャンスを伺い首元に食らいつく。そんなハングリーな狼と心の中で共存する。
己の中の狼を満たすこと。これが無意識的な満足につながると僕は思っている。
興味を潰す校則
ここからは僕の話を。福岡県でも取り分け校則の厳しい学校に通っていた僕は、「あれをやるなこれをやるな」の世界で3年間過ごしてきた。
平たく言えば、自由を与えてしまうとロクなことにならない。そう思われる子どもばかりが集まった学校に通っていたのである。
文化祭なし。サッカー部、バスケットボール部は問題を起こして廃部...。
当時はインターネットも普及していないため、情報が少な過ぎた。もしも、今の時代であれば確実に違う道を歩んだと思う。
そこで僕が取り分けキツかったのが髪の毛を伸ばせないことである。
坊主かスポーツ刈り。横の髪は耳にかかるとNG。前髪は眉毛の上まで。カラーは論外。パーマはバレれればバリカンを持ち出されるレベルだ。
一番お洒落に興味がある思春期をそんな風に過ごしたのだから、卒業後に欲求が爆発した。
その爆発は36歳になっても収まるところを知らない。興味が薄れることが全くない。
僕の中にいた欲求の狼への餌は、まだまだ足りていないのだと思う。
もしも高校生の時に抑制されていなかったら。今でも同じように凝り続けることはなかったのかもしれない。
このエネルギーを別のベクトルへ
一方で、強すぎるほどの願望が無ければハングリー精神は育まれないとも解釈できる。
欲の深さと重さが人並み外れているからこそ、リミッターを外すことができる。歴史に名を残すような経営者は皆、そうした
人は本気で興味のあること、好きなことであるならば、黙ってても行動する。
抑制するということは、加圧するということ。気持ちに強い圧力をかけ、爆発させる。もっと、もっと、もっと、と飢え続ける。自分の現状に流されるのではなく抗う。
ちょっと欲求不満なくらいが丁度いい。これからも○○をしたいという気持ちを大切に生きていこうと思う。
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