なぜ、十三機兵防衛圏のヒットにステマなどと失礼な言葉が用いられるのか

PS4ゲーム「十三機兵防衛圏」がジワジワと人気を高め、大ヒットの兆しを見せている。

そもそも発売直後からいい噂の絶えない作品だった。今思えば、プレイした友人は皆、「神ゲー」「シナリオが凄い」など口々にその魅力を語っていた。

ただ、友人からの評価で「良ゲー」は確約されていたものの、中々僕の中で今すぐ購入する候補には入っていなかった。

それもそのはず、小島秀夫監督作品の「デス・ストランディング」や待望の新作「新サクラ大戦」、更には新主人公を抜擢した話題作「龍が如く7」が連続でリリースされていた。

ゲームを長時間遊ぶ習慣か抜けた僕ですらゲーム三昧(ゲームのプレイ制限が騒がれている時期に皮肉なものだが)の日々を送る。そんな話題作が連発する状況だと、“いつかやろう”という感じで、中々に手が出ない状況だった。

ただ、僕の中でも機運が変わった。今プレイしているゲームが終わり次第、早急にはじめなければ。そんな風に購買意欲の潮目を変えたのは電ファミニコゲーマーで公開された一本の記事だった。

メディアが生み出したトレンド

本記事は電ファミニコゲーマーの編集長であるTAITAIさんが書き下ろした記事。ネタバレや種明かしを一切せずにその魅力に迫った内容になっている。

敢えて書くが、ベタ褒めの内容となっている。愛がこもった素晴らしい記事だ。筆力や構成を超えた“熱”がある。これこそが、その先の誰かを動かすコンテンツなのだ。

「十三機兵防衛圏」に感動し、誰かにこの熱を伝えたいと思って書いた記事。この記事を境に「十三機兵防衛圏」は大きく動き始めた。

アトラスの公式は品薄により、ダウロードでの購入やパッケージ版の予約を促す発表を行った。

ゲームメーカーとしては非常に大切な発表だったように思う。

少し横道に逸れるが、CtoCで経済的消費活動が行われる場合、ゲームメーカーには一円も入ってこない。つまり、流通は進みIPは広がってもクリエイターたちにゲームの売上は一円も入ってこないのである。このコラムの本筋ではないので、言及は避けるが、パッケージでもダウンロードでも自社と関連のあるところで購入して欲しいと発表したもう一つの勇気にも敬意を表したいと思うのだ。

閑話休題。

電ファミニコゲーマーと上記のツイートをキッカケとして、さらに「十三機兵防衛圏」は話題作となっていった。その流れはこちらでチェックいただきたい。

「十三機兵防衛圏 ステマ」でTwitterを検索してみると、次々にツイートが見つかった。ここでステマ(ステルスマーケティング)が巻き起こした本当の怖さを僕は目の当たりした気がしたのだ。

バズマーケティングの崩壊

僕が最も驚いたのは「ただ作品を面白いと勧めている1人のユーザーが『ステマ』します」とツイートしていたことである。

ステマでも何でもないことに対して、ステマという言葉を使用する。単なる口コミが全てステマと疑われるのはこうした些細な点にも現れているように思う。

個人的にバズマーケティングは今でも最強だと思っている。正確には自分が信頼している人物のレビューや意見、これこそが最も購買意欲をそそるのだ。

数多くの有名クリエイターを虜にした「十三機兵防衛圏」はプレイ後に「素晴らしい」という賛辞を浴び続けた。

ステマという言葉が一人歩きする以前までは、「このゲーム面白いそう!」だけで済んでいたに違いない。ただ、時代は変わった。インフルエンサーマーケティングを含めて多角的に宣伝か否かが注視される時代となったのだ。

ただ、好きなものをただ好きだと言うだけで、「ステマ」だと疑われる。それあまりにも寂しすぎはしないだろうか。

素直に感想を述べたら「ステマ扱い」される。自分で置き換えたらどれだけ悲しく、どれだけ憤ることか理解できるはずだ。

ステマだろうと何だろうと、いいものは良いんだからプレイして欲しい。そしたら楽しさに気付くはずだ。

ステマか否かの判断がユーザー側は全くできない。ここが問題だ。

本当の口コミは金で買えない

「いいものは売れる」古くからあるシンプルで自信に満ち溢れた言葉だ。今回、「十三機兵防衛圏」はいいゲームだったから話題になった。

一方で、「いいゲームだから話題になった」をステマ(お金)で同じようなムーブメントに仕立てることができただろうか。

レビューはある程度操作できたり、自分の価値を金に換算し慣れている層は食いついても、優秀なクリエイターはそう簡単に加担したりしない。また、自分のタイムラインを見たときにここまで評判いいのか、という状況が生まれるのはあまりにもレアケースである。

本当の口コミは金で買えないのだ。

最後に。結局、ステマか否かは個人レベルでは答えが出るものではない。開けてみなければ分からない。ステマか否かの声が上がることが自体が問題なのだ。今回のケースでよく分かった。

本当に素晴らしいゲームが口コミで広がった時に「ステマ扱い」されるのはあまりにも失礼なことである。ただ、今回の一件をステマでないと証明することが僕にはできない。疑問を抱く人も出るのもしょうがない。なぜならば、悪魔の証明ができないためだ。

ステマの本当の恐ろしさとは、こうした答えがない(本件はそうではない、と心から信じている)考え方を抱いてしまうことなのだと知った。

「プレイする」「プレイしない」「ステマか?」「ステマじゃないか?」

情報に対して、四軸で考えてしまう。これは非常に厄介なことだ。性善説的に「これは良さそうだからプレイしたい」と思った方が人生ほ楽しそうである。

素晴らしいものが話題になる。そうした状況にも疑ってしまう状況を打破する打ち手をこれから考えていきたい。

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