【オリジナル短編小説】絢爛ドッグ・ハウス

洒落た店に漂う空気感が私は昔からどうも嫌いだった。

やれダーツバーだのイタリアン居酒屋だの…どうせ客のすることは同じだというのにそこに行くだけで自分達のステータスが上がると信じ込んでいる輩の多いこと多いこと…。

なに、私はその店自体が嫌いなわけではない。

その店にいるというだけで特別な感情を抱きやるもの共がなんとなくいけ好かないだけだ。

そんなわけで、私はもう50にもなるが、仕事終わりは大衆居酒屋で簡素に済ますのみにしていた。

勿論会社の上司や役員と飲む時はそれなりの店に行く羽目になるのだが、それはそれは最悪で、いつも楽しんだ試しなどなかったものだ。

想像してみてほしい。

まず犬は主人に忠実なものだ。

小屋の外に出ればそれぞれの義務で動くことを忘れちゃいない。そして小屋の中では静かに休息を取る。大変賢い生き物だ。謙虚さも合わさればそれはそれは愛されることだろう。言わば犬小屋は犬にとって飾る必要もない場だというのに、暴れることもせず静かに時を過ごす。

まぁ、小型犬という例外もあるがそれはさておき。

ところが人間ときたら、たかだか会社の飲みで良い店に行ったくらいで内弁慶のように横柄になるものだから始末に負えない。

勿論そこ以外では皆立派な人間を演じる。そこは「小屋」の外のフィールドであり、御多分に漏れず私もそうだ。だがそんな仮面を内側で容易く剥がしてしまっては意味がないだろう。私はそう思う。


会社帰りはどこもかしこも犬小屋だ。しかし本当の犬と違って礼儀をわきまえない奴らの寄合所と化しているのが殆どなのだ。私はそれが我慢ならなかった。

若い頃は親のすねをかじる行為が許せず、大学に通いながら一人暮らしのアルバイトをしていたものだから、そんな客の始末のなさは嫌という程分かっている。

奴らは本当の「小屋」の中でもきっとああなのだろう。

そう思えば、どこもかしこも犬小屋であるという言い分も少しはわかってもらえるだろうか?


私は今日も行き付けの居酒屋で焼酎を一杯やっていた。

ここの店はお気に入りだ。大衆居酒屋だというのにマナーのなっていない客が殆ど来ないからだ。ここは普段から強面の店主の目が光っており、私含め壮年のサラリーマン達の憩いの場となっていた。

こここそが本当の犬小屋である。休息の場とは安らぎの空間でありさえすればいいのだ。そこでわざわざ仮面を外して恥態を晒すことなどないのである。

絢爛豪華な犬小屋の中で豪奢に吠え散らかしたところで残るものなど何もない。そこで我が我がと「小屋」の主になったつもりでいても、会社の地位はあがりやしないし、家庭も円満になろうはずがない。

彼らは本能を吐き出す場所を探しているように思うが、理性で配慮しながら楽しむことが人間の賢さとは言えないだろうか。

何かを告げるのも吐き出すのもひっそりとがいい。それも自分の女房だけに限る。

心を許した人間以外に本能など知られたくはない。


私は残りの焼酎をゆっくりと嚥下すると、会計を済ませて家路についた。

家に帰れば愛しい女房が出迎えてくれる。
幸せなことだ。


私は家の前まで着くと、ポケットの鍵を探った。

あった。

鍵穴に刺して捻れば女房が駆けてきて、玄関の電気が点く…はずなのだが。


おかしい、今日は女房が出迎えに来ない。

別に強制しているわけではないから好きにしてもらってていいのだが、いつもはあるものがないというのは非常に奇妙なことだった。

寝る時間というにはまだ早いし、何かあったのかと思いながら家に入る。


ん?

何やら女房の声が聴こえる。

でも喋っている風ではない。

何か泣き声のような……。



その晩、彼は人間を辞めた。

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