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人は本当に変われるのか

3月から、週2ペースでママ友たちとZoomミーティングをやっている。
ママ友同士のオンライン井戸端会議と侮るなかれ。

「アンガーマネジメント」や「自宅保育のtips」「子供の教育方針」「英語教育」「マネーリテラシー」など会ごとにテーマとファシリテーターを決めて実施している。
会の後は議事録まで残して振り返れるようにするという、中々意識の高いプライベートミーティングなのである。

ノウハウや子育て以外でも、それぞれのパーソナリティに焦点を当てたテーマを設けており、その中で「私の人生を変えた体験・経験・あの人の一言!」をシェアするという会があった。

それぞれ、親の言葉だったり、上司だったり、あるいは本だったりさまざまな体験談のシェアがあり、聞いていてとても楽しい会だった。

私も「人生が変わった」とまで言っていいのかは疑問だが、間違いなく生きていく上で影響を受けた出来事などをいくつか発表させてもらった。
その中で、最も大きな転換点だったと思うのは、私が19歳の頃のとある人との出会いである。

私は不幸だという被害者意識

19歳の私は非常に荒れていた。
以前のエントリで少し書いたが、高校を卒業してフリーターとして働き出した私は、自分の人生はおろか、自分自身にすら何の価値も見いだせていなかった。

もちろん世界には私より辛い境遇の人がいることはわかっている。
だがそれは、遠い遠いどこかの国の話であって、自分の中ではおとぎ話の中での出来事となんら変わりはないような気がしていた。

自分自身もいけてない。
付き合う彼氏もクズばかり。
私は抑圧されて今まで生きてきたのに。
それでも努力してきたのに。
私より努力もしていない、ただ恵まれた環境に生まれただけの友人たちは、大学でやれサークルだ、やれ合コンだと日々楽しそうにしている。
人生はなんて不平等なんだろう。
私はなんて不幸なんだろう。

そんなことを毎日本気で考えていて、今思うと消えてしまいたいほど恥ずかしい。

でも、意外といるよね、こういう人って。
と今更ながら他人事のようにそう思う。
何事も人のせい、周りのせい、環境のせい
不幸の渦中の主人公だと思って生きている人たち。
(ウシジマくんとかにでてきそう)

何より自分がそうだったから、私にはすごくわかる。
今は勿論そんなメンタリティはないが、正直いうと未だに「恵まれている人」に対する羨望と嫉妬の感情は強い。

もう10代のときのように、それを振りかざしたり、表に出すほど子供じゃないが、どうやら全く消せるほど大人にもなっていないようだ。
もしかすると一生付き合っていかなくてはいけない、負の感情なのかもしれない。

それはエステサロンのお兄さんだった

閑話休題。
そんなダメ人間な私を変えてくれたのは、ニキビ治療で通っていたエステサロンのお兄さんだった。

特にプライベートで仲良くなったわけでもなく、私の担当ですらなかった彼だが、会うといつもニコニコ満面の笑みで対応してくれるのが印象的だった。
簡単にいうと「ポジティブおばけ」という感じの人である。

ダークサイド一歩手前の捻くれた根性の持ち主だった私は、次第にその笑顔すら偽善に思えてきて、なぜか勝手に腹を立てるようになった(本当いい迷惑だ)

どうせ営業スマイルなんでしょ。
ポジティブなことばっかり言って、裏ではどんなこと思ってるんだか、この偽善者が!

信じられないが、捻くれた人間の思考というのは本当にこんな感じなのである。(自分でもちょっと引く)

そして、何がきっかけだったのか忘れたが、その場違いな怒りを、本人に思いっきりぶつけてしまったことがあった。何か違うネタにかこつけて八つ当たりしたように思う。全く言いがかりも甚だしい。

彼は、私の言い分を真剣に聞いてくれて、ただただ同意してくれた。
この時初めて私は実感した。
怒っていない人間に対して怒り続けることってできないんだな」と。
私の八つ当たりの炎はどんどん萎んでいき、最後にはやるせなさと、ぶつけようのない虚しさだけが残った。
こんな自分が心から嫌だった。

驚いたのはそこからだった。
彼はそのサロンの同僚ですら知らなかったという自分の体験談を話し始めた。

彼は、当時多分まだ20代だったと思う。そのサロンで働く前はトラックのドライバーをしていたそうだ。
そして自分の運転する車の助手席に先輩を乗せて運転している時に、崖から落ちたらしい。

突然の衝撃の過去の告白に、私は面食らった。
そしてさらに彼が続けた言葉に、言葉を失う。

僕だけ生き残って、先輩が死んじゃったんだ

彼の告白はまるでドラマか小説の話を聞いているようで、現実味がなかった。
19歳の私の周りにそんな過去を持った人間はいなかったからだ。

そこから彼は交通刑務所に入ったこと。
死んだ先輩の葬式で家族や婚約者になじられたこと。(先輩は婚約中で結婚を間近に控えていたそうだ)
起きたことを、淡々と、でも穏やかな優しい声で話してくれた。

何度も何度も自分が死ねば良かったと思った

彼がそう言った時、私は自分が泣いているのに気がついた。
あまりにも壮絶な体験に、大きなショックを受けていた。

私はただただ自分が恥ずかしかった。
遠い世界の話ではなかった。
自分が知らないだけで、苦しい思いをした人、辛い過去を持つ人はたくさんいるのだ。
彼の経験したことに比べたら、自分の置かれた状況なんて、悲観するポイントすらわからない。

彼は私に説教じみたことは一切言わなかった。
辛い体験をしていることを振りかざすわけでも、私を諭そうとしたわけでもない。

でも、若干19歳の未熟すぎる私でも彼がこの話をしてくれた意味はわかった。
そして彼のポジティブなオーラが、いつも絶やさない笑顔が、その壮絶な体験の上に成り立っていることを改めて痛感した。

スピリチュアルなことは大して信じていないが、この日の帰り道に見えた景色は未だに強く心に残っている。
サロンに向かうときと、景色が全く変わっていたのだ。
まるで違う国や、違う季節に一瞬にして切り替わってしまったくらいのインパクトだった。
吸い込む空気さえ、全くの別物であるような気がしたのを覚えている。

私はこの日、これからの自分の人生を一生懸命に生きていくことを彼に、そして自分自身に誓った。

自分が変われば全てが変わる

安い自己啓発本の内容みたいで、こう書くのは気が引けるのだが、私は意識を変えた日から、環境がどんどん変わっていくのを実感してきた。

毎年お給料は増え、何の学歴も職歴もないところから大企業に転職でき、付き合う彼氏の質もあがり(失礼)、いい友人に恵まれるようになった。
そして最愛のパートナーと出会い、子供が生まれ、今のところ幸せは天井知らずである。

今の自分を知りたければ、周りを見てみればいいと私は思っている。
周りのレベルが低い、嫌なやつしかいない。そう思っているならば、すなわち自分が嫌なやつなのだ。
人間は同じレベルの、同じような人たちと寄り添う生き物である。

私が変えたのはあの日の意識だけだ。
顔が突然北川景子になったわけでも、石油王に出会って大金持ちになったわけでもない。

長所も短所も変わらずあるし、未だに自分の嫌いなところもたくさんある。
だけど、世の中全てを恨んでいたあのときの自分と今の自分は全く別物だと断言できる。

だから、変われるって本気で思うよ

先述の通り、私は未だに「恵まれている者」へのコンプレックスが根深い。
容姿だったり、家庭環境だったり、才能だったり。
金持ちの家に生まれて、自由に伸び伸びと育てられた人に「君も成功できる!がんばろう!」なんて言われても、どうしてもハンッ!っと鼻で笑って小馬鹿にしてしまうし、ミランダ・カー級の美人に「努力したら綺麗になれるよ!」なんて言われても到底素直には受け入れられない(未だに性格悪いじゃん、私)

ところが私は、超凡庸な上に、書いてきた通りめちゃくちゃ最低人間だった過去がある。
最近出会った人には信じられないと驚かれるが、元はとことんネガティブでネクラなパーソナリティーの持ち主だ。

そしてそれを意識と努力で変えた経験があるからこそ(ネクラは変わってないけれど)自信を持って「人は変われる」と信じているのだ。

またこれは感覚からだが、その変化は若ければ若い方がいいように思う。
歳を取れば取るほど、人間は変われなくなる。
常に変化を望む自分自身ですら感じている。
だから、何かしら現状に不満がある人は、一刻も早く自分の意識を変える努力をしたほうがいい。
今日は残りの人生の中での、最年少の日なのだから。

まずは自分が「持っているもの」を見つけよう

きっかけを作るならば、周りの人に聞いてみるといいと思う。
その人の辛かったことやコンプレックス、人生のどん底期のことを。
全員が壮絶な体験をしているわけではないが、意外とこの人にこんな過去が…!と驚きの事実がわかることもあるだろう。

こんなに幸せに見える人がこんなコンプレックスをもっているなんて!と衝撃をうけることもあるかもしれない。

人の不幸や、ネガティブな情報と対比して自分の幸せを認識するというのは、何とも品がない行為にも思える。
だけど、絶対的な幸せというのはワガママで俗っぽい私たちには中々認識ができない。

戦争で亡くなった人がいるからこそ、平和な国で過ごせていることに感謝できる。
病になった人がいるから、今自分が健康であることをありがたく思う。
勿論自身の体験と比較することもあるだろう。

こうして私たちは相対的な幸せを見つける。
今自分が持っているもの、恵まれているものをしっかりと感じることができる。
そう、自分は何を持っているのか?それを認識することが変化の第一歩だと私は思う。

自分自身の価値を見つけられれば、人生は途端に色づきはじめるはずだ。
あの日、私が見た景色が一転したように。

※今どこで何をしているかもわからないけれど、私の人生を変えてくれたお兄さんに、心からの感謝を込めて


本代に使わせていただきます!!感謝!