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憧れのひとのようにはなれない、そう気づいてしまった人の話

人は人、自分は自分といったりする。それくらいに割り切って考えることができるといいのだが、なかなかそうやすやすともいかないようだ。

高校生の頃の僕は人と自分との境界のことで苦しんでいた。だれだれさんが、「あの人こうだよねぇ~」といったりしていると、自分のなかにスルッとその思いが入ってきて。

自分の心までそのように考えるようになる。その相手が近ければ近いほどに、その傾向は強まった。


こう書いている今でも、その傾向は抜けきってはおらず今なお、僕の中で心は書き換えられることもある。

ただそれは昔に比べると、和らいだように思うの、と。

僕自身が自分の心に慣れて、そのことを受け入れることができるようになりつつあり、反対にその特性の生かし方を思えるようになり。弊害の面が薄くなったような気がする。


なかにはきっぱりと他人と自分を分けて考えたり、感じたりする人もいると思う。むしろそっちの方が多いのかもしれないけど。

人によって生まれ持った性質があるものだ。それはその人にとっての得意であったり、苦手であることもあるし、当たり前や常識であることもある。

僕が想像していたよりも、人と自分というものはちがう生き物なのかもしれない。



なのでぼく自身はこう考えるようになってきた。人と自分がそもそも大きく違うのであるなら、人にあこがれてあの人のように、と努力をすることより自分の性質や個性を生かしていくほうがよいのかもしれない。

そう、うっすらと、思うように。


このnoteであっても、いろいろな人が書いているようだけど、性別や住む場所、年代、価値観、職業、得意なこと・苦手なこと・・・、ほんとうにいろいろだ。

要はみんなそれぞれなの、かもしれない。そう感じところもある。


世の中にはすごい人がきっとたくさんいると思う。

Amazonをひらけたり、本屋へ行くとそういった人たちの本がひしめいている。

以前なら、憧れて人生の成功を目指していた、いまは自分はきっと本の中に登場する成功者のようには、なれないのかもしれない。

とすこし思うようになった。


そして、そもそも「自分は自分でしかない(のかもしれない)」そうも感じる。

まぁ、それも曖昧なはなしなので具体的に「こう生きていきます!」ということでないのだけれど、最近ぼーっとそんなふうに思っています。

というニュアンスで、書いてみた。


自分がどんな人になっていくのか、わからないけど、自分に生まれたことを大切にしていきたい、とは思う。

かっこつけて書いているけど、まだまだ自分のなかは曖昧で整理がついていない。

書いていくことでクリアになり、今よりも希望をもって生きていけますように。

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