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耳によりつながったり断絶されたりする世の中

iPhoneについてくるコード付きのイヤフォンをなくして、しばらく経っていたので買いにでかけた。

無ければ無いで無いなりに過ごすのだけれど、無いなりに過ごすしかない・選択肢がないという状態は「イヤフォンがほしいな」という考えが頭をよぎった瞬間には一瞬ストレスなものだ。

ちょっと値段は張ったけど、音質とフィット感とデザインで、憧れのワイヤレスイヤフォンに決めた。

なのに。

つけた途端、とてつもない寂しさを感じた。

もちろん音質は問題ない。

でも、

人の話している声。
自販機から飲み物が落ちる音。
改札を通る音。

世の中の音が聞こえなさすぎて、頭痛がする。

文字通り音をシャットアウトして、こちらから世の中を拒絶しているような気がした。

「イヤフォンがほしいな」はつまりわりと「世の中をシャットアウトしたいな」という、生き急いでいる人間特有の願望とニアリーイコールだったにもかかわらず。

耳は、世の中とつながっていたいのだ。

結局片耳だけつけて電車内を過ごしていた。

今日だけで3回も床にその小さい丸いイヤフォンを落とした。

乗客が降りた電車の席に、楕円形の黒いケースが「やっぱりね」というふうに転がっていた。

I'm amazed I still have it. (まだこれ失くしてないなんて自分にびっくりだぜ)。その小さい丸いイヤフォンを弄びながら、最近会ったイギリス人だか香港人が言っていたのを思い出す。

1ヶ月後まで両耳そろっているか、見ものだ。

片耳からイヤフォンを外した瞬間、風すら感じるようになる。

たぶん身体のパーツが全部なくなったとしても、耳さえあれば穴を通じて自己と世の中はつながっている。

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