耳によりつながったり断絶されたりする世の中
iPhoneについてくるコード付きのイヤフォンをなくして、しばらく経っていたので買いにでかけた。
無ければ無いで無いなりに過ごすのだけれど、無いなりに過ごすしかない・選択肢がないという状態は「イヤフォンがほしいな」という考えが頭をよぎった瞬間には一瞬ストレスなものだ。
ちょっと値段は張ったけど、音質とフィット感とデザインで、憧れのワイヤレスイヤフォンに決めた。
なのに。
つけた途端、とてつもない寂しさを感じた。
もちろん音質は問題ない。
でも、
人の話している声。
自販機から飲み物が落ちる音。
改札を通る音。
世の中の音が聞こえなさすぎて、頭痛がする。
文字通り音をシャットアウトして、こちらから世の中を拒絶しているような気がした。
「イヤフォンがほしいな」はつまりわりと「世の中をシャットアウトしたいな」という、生き急いでいる人間特有の願望とニアリーイコールだったにもかかわらず。
耳は、世の中とつながっていたいのだ。
結局片耳だけつけて電車内を過ごしていた。
*
今日だけで3回も床にその小さい丸いイヤフォンを落とした。
乗客が降りた電車の席に、楕円形の黒いケースが「やっぱりね」というふうに転がっていた。
I'm amazed I still have it. (まだこれ失くしてないなんて自分にびっくりだぜ)。その小さい丸いイヤフォンを弄びながら、最近会ったイギリス人だか香港人が言っていたのを思い出す。
1ヶ月後まで両耳そろっているか、見ものだ。
*
片耳からイヤフォンを外した瞬間、風すら感じるようになる。
たぶん身体のパーツが全部なくなったとしても、耳さえあれば穴を通じて自己と世の中はつながっている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?