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【エッセイ】共感は愛を育む

(1417文字)

今年は蛍を見にいかなかった。
昨年も行かなかったから「今年も」と言うべきか。

ボクは結婚して2〜3年後から、毎年この梅雨の時期に、妻と蛍を見に行っていた。
「蛍の里」というような、保護活動をしているところではなく、仙台や周辺の農村部に残っている、コンクリート護岸がされていない用水路や小川に、自然の蛍を探した。
そして毎年その3ヶ所をまわって蛍の光を楽しんだ。
娘が生まれて3人で見に行くようになり、娘が高校進学でボクの実家の埼玉で暮らし始めた後も、また2人で見に行っていた。

昨年の2月に、娘の大学進学に合わせて妻も娘と暮らすことになり、ボクは一人暮らしになり、昨年から蛍を見に行かなくなった。
蛍の光を純粋に楽しみに行っていたのではなく、妻や家族との時間を楽しみに行っていたのだと改めて実感した。

蛍といえば、大好きな曲がある。

螢を見るなら あの町が一番さ
小さな川には いくつも橋がかかってよ
ひっそりと そしてあったかい
その川の回りには いろんな店がポツポツと
飲み屋やら メシ屋やら それがまた うまくてよ
ひっそりと そしてあったかい
一の坂川へ お前を連れて
一の坂川へ 連れて帰る

小さな町だし 何もない町だけど
2、3年いただけで どうってことない町だけど
なぜかやたら やたらいいさ
もう何年も十何年も そこを歩いてないけど
毎年その螢は どんどんふえてく
なぜかやたら やたらいいさ
ひっそりと そしてあったかい
一の坂川へ お前を連れて
一の坂川へ 連れて帰る
一の坂川へ お前を連れて
一の坂川へ 一の坂川へ

SION「蛍」

なんていうことない歌詞なんですよ。
だけどなぜか少し切なくなるというか、泣けてくるというか。
なんだかすごく優しさを感じる。

ただ、自分が好きな風景を見せたい。
自分の好きな街に連れて行きたいというだけの歌詞。
でも、それが全てなんじゃないかと思う。

何か素晴らしい風景を見た時、これを見せてあげたいと思う人。
何か美味しいものを食べた時、これを食べさせてあげたいと思う人。
何か感動した時、あの人も感動するだろうかと思い浮かんだ人。
それは間違いなくあなたが大切に思っている人。
ボクはこれを娘に教わった。

娘に限らず、子供はみんな共感したがると思う。
何かおいしいもの、例えばお菓子を食べた時、特別おいしいと思うと、それを「食べてみて」と差し出すことってありますよね?
でも、こっちは今、甘いものを食べたくなくて断ったりする。
その時に娘はわかりやすく悲しい顔をしていた。
その時にボクは、それは単に食べ物を断っただけではないということに気がついた。

よく、親は子供に対して無条件の愛を持っていると言うけど、ボクは逆のような気がしている。
そして子供が持って生まれた愛情を育ててあげられるのは親なのだ。
その時に一番大切なこと、それが共感だと思う。

今年は蛍を見にいかなかった。
離れていると、ボクが共感したいのは家族なのだと身に染みる。
一人暮らしが寂しいなんて、ボクは感じないと思っていたけど、すぐそばに共感してくれる相手がいないことで生じる感情が「寂しい」なのかもしれない。

皆さんはいつもより赤い夕日の写真を送りたい人はいますか?
その日に頭に来た上司の愚痴を聞いてもらいたい人はいますか?
嬉しかったことを報告したい人はいますか?

当たり前のことを言っているような気がしてきたけど、その当たり前のことが、日常の中でおろそかにされていく。
たまには共感を意識してみませんか?

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