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【ドラマ】1122 いいふうふ

(3509文字)

観終わりました。
なるほど、そういうハッピーエンドかぁ。
それもアリだよねと思わせる、これからの夫婦像のひとつとして納得できる終わり方でした。

「夫が妻公認の不倫をしている」という、ありそうで無さそうな設定のドラマ。
これ、舞台が太平洋戦争前の時代ならあるわけですよね。「妾」という存在がいたわけだから。
男尊女卑、男系の家制度の時代、それが当たり前ではあったけど、嫉妬がなかったわけじゃない。それは落語の噺にも出てくる。「悋気の火の玉」とかね。
あの噺は好きだなぁ。だいぶ前に亡くなった三笑亭笑三さんの口演が好きだった。晩年はテレビに出てくる人でもないしメディア化もされていなかったから寄席でしか観ることができなかった。
話がだいぶ逸れた。

話を戻してこのドラマ。登場人物それぞれの性格や考え方に注目しながら観るのが面白かった。
序盤で、なぜこの状況が保たれているのかを見せる。それがちゃんと納得できるというか、なるほどね、と思わせるものがあった。
それは前回も書いた。

そして5話までに、それぞれの裏というか、本当の気持ちや考えていることが見えてくる。
なるほどね、とボクにはそう思って理解できるところが多かったので、その後もすんなりと観ることができた。
そこでボクなりのそれぞれの登場人物の理解を。

まず、主人公夫婦、一子と二也(おとや)。
つまり、性格的には男女逆転なのかな。性格を男女で分けるとややこしいけど、家事を苦にしなかったり生花を楽しむのは夫の二也の方。
対して一子は本能を理性で押さえ込むタイプ。
「自分がセックスをしたくないから」と夫の不倫を認める。だけど本当は嫌だったことに気が付く。まさに脳幹より大脳新皮質で考えるタイプ。
そして、自分の性欲が復活してきたところで夫に拒否され、女性用風俗を利用する。
これ、完全にオジさんの行動(笑)
「私には必要なことだった」
と言うわけだけど、分かるわ〜その気持ち。
まぁ、でも男性用の風俗の場合は処理的な性格が強いので一子の場合とは違うでしょうけどね。
体を受け入れてもらうということが必要な時ってあるわけですよね。それがそのまま自分の存在を自分自身で認められるというか。拒否されるというのは、セックスだけじゃなくて自分そのものを拒否されている気持ちになる。
こういうことは拒否する側の人に考えてもらいたいですね。それぞれ状況が違うと思うけど。
一子は最初、自分で拒否をして、拒否をされることでそのことが分かったんでしょうね。
さらに一子は「前に進むために」と不妊治療に励み疲れていく。
この○○のためには××が必要という、道筋をしっかりとつけるあたりが男性的というか、まるで仕事に対する考え方ですよね。
そして上手くいかずに自滅する。
余談だけど、性生活での不妊が描写されていなかったから、夫婦をやりなおすことに決めた途端に不妊治療というのが少々突然な気がした。

そして二也は夫婦のことに関しては何も決めない。一子の考えを受け入れるタイプ。
これ、一見すると優しそうだけど、それはつまり考えること決めることを丸投げしているわけですからね。家事をしてくれたり、気が利くことで優しいというイメージを醸し出しているけど、本当の意味での優しさではないような気がする。このふたりの場合はね。
これが前時代的な日本の良妻賢母タイプならこれで良いんですよ。対応力で全て受け止めてくれる優しさね。そういう役割だったわけだから。
そして二也が理知的じゃないなと思ったのが、風俗を利用した一子を責めるシーン。
自分は本気で恋愛をしていたわけだけど、一子ちゃんは金で買ったのかと。
いやいや、恋愛ならOKってどういう理屈?
やってることは一緒だから。
というか、気持ちまで持っていかれちゃっているんだから、むしろその方が裏切りじゃないかな。
それよりも、隠されていたことに怒っているだけでしょう。
しかもその恋の相手と一緒になる気がないんだから、それはもう誰がなんと言おうと浮気、遊びですよ。自分で美化しているだけ。
それなのに感情的に一子を責めてしまうのが理知的ではないなぁと。
穏やかな性格だから騙されがちだけど、実は本能的で何も考えていないタイプなんですよね。起こったことに対して無難に収めようとする態度が優しく見えるのでしょう。

それぞれにステレオタイプ的な男、女ではないというふたり。最初から最後まで、この夫婦の主導権は一子にあって「男が主導する」という前時代的な夫婦ではない。だけどそれをはっきり決めていたわけでもない。
それと、お互いの性格を実はあまり理解していないんじゃないかなとも思った。
そういう複雑な状況をすんなりと観せていた感じがしますね。

そして二也の不倫相手である三月。
2話まで観たときは、理解に乏しい夫、謎の宗教を勧めてくる義母、発達障害がある4歳の息子という環境に疲れて、外に救いを求めたということを理解できていたつもりだったけど、話が進むにつれてだんだんと分からなくなっていったのはこの人。
夫の志朗に不倫しているのをバレているのを知って、謝るより半ば責めるわけですよね。「私たちは変わらなければいけない」というけど、どっちかといえば、あなたが悪いのよと責めているように感じた。
そして妊娠するけど、それは夫の子供だという。不倫相手の子供ではないかと疑わせるシーンもなかった。
それは良いのよ、でもね、ということは、不倫中も夫とセックスをしていたということだもんね。避妊もしていなかったわけだから、やっぱり三月も離婚するつもりはなかったんでしょう。
というか、できるものなんですね。
ボクだったらと考えると、同時期にふたりとはできない気がする。気持ちがない「処理」だったらできると思うけど。
どうなんでしょうね?女性の場合はどうなんでしょう?
その後、変わっていく志朗の様子に、ようやく彼のことを分かっていくわけですよね。
それなのに、不倫相手に怪我をさせたことを会って謝りたいと志朗に言う。
それは志朗のセリフにあるように、お願いではなく報告なんですよね。もう決めちゃってる。そして会いにいく。
いやぁ、ダメでしょう、それは。
どこまで自分勝手なんだと思いつつ、だから不倫に走るわけかと妙に納得。共感はできないけど。

そしてその夫の志朗。
結局、全てのしわ寄せはこの人に来ていたのではないでしょうか?
確かに子育てや親のことに向き合わず、家のことは全て三月に任せている。
その結果、三月は不倫に走る。
でもそれを許して変わろうと思うわけですよね。三月を責めもせず、どちらかといえば自分を責めているようにも見える。
つわりで苦しむ三月に、前の時は炭酸水を飲むと楽になると言っていたからと買ってきてくれる優しさもある。
不器用なんですよね、要は。
それと、問題に正面から向き合えない臆病さもあるんでしょう。
強く冷徹な男に見えて、実は弱さを隠している。
三月にはそこに気がついて欲しかった。
最初は一方的に不倫の原因のような存在だったけど、やっぱり誰かひとりに原因があるということはないんですよ。
もっと早く三月も志朗自身も気がついていたら、話し合いもできていたように思う。
まぁ、そう考えると三月の不倫は必要というか、必然だったと言えないこともない。
ないんだけど、その事実は消えないんだよね。
自分の愛する妻が他の男に抱かれていたという事実は消えないし、何かの拍子に思い出すこと、責めてしまうこともあるかもしれない。
そういう言わば「爆弾」を抱えて生きていかなければならない。
苦しいと思うなぁ。
それも全て家族に向き合ってこなかった罰だとすれば、ちょっと重すぎる感じがする。おそらく三月は不倫したことをずっと気に病んだりしないと思うし。
最終的にボクはこの人に一番感情移入していましたね。

ちょっとドラマの感想をと書き出したら3150文字を超えていた。
それだけいろいろ考えさせられる、つまり面白いドラマでしたね。
そんなのおかしいだろうとか、リアリティがないなぁなんてところもボクにはなかった。
原作者がどこまで深く考えて、それぞれの登場人物を設定していたのか知りたいですね。

あ、そういえばこのドラマには「セックス」の生々しさがなかった。
一応、一子のベッドシーンはあったけど、そういうシーンがあるとかないとか、綺麗とそうじゃないとかではなく、体温というか、とにかく生々しさ。
もし自分のパートナーが不倫をしたら、その生々しさに嫌悪感を抱くと思うわけですよ。
それがこのドラマにはない。
ドラマとして良いとか悪いではなく、セックスの扱い方というのかな、それも何か新しい時代の扱い方なのかなと思った。


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