【エッセイ】サブカルチャーはお笑いに昇華される
(2404文字)
突然ですが、ラッパーが出てくるコントのキャラクターを想像してみてください。
おそらくみんな同じような想像をしたと思う。
ダボっとした服に金銀のジャラジャラしたアクセサリー、そしてハンドサインを出しながら、ノリノリで「YO! YO!」とか言ってたりする。
そこに、
「何やってんのタケシ!ご飯だって呼んでるでしょう!」
なんて、モジャモジャ頭の母親が現れたらもうコント。
これ、ヒップホップが社会的に認知されているということですよね。
されていなかったら面白さが伝わらないから。
そのヒッピホップも、元はニューヨークのブロンクス地区に住む黒人たちのパーティから始まっていて、社会に対する憤りなどをラップやダンス、グラフィティなどで表現していた。
それが商業化され、まず時代に敏感な若者から広がっていく。
その時にはまだ社会一般には受け容れられない。
時間が経つにつれ、感化された若者たちが大人になっていき、仕事を得るようになると、少しずつメディアに使われるようになっていく。紹介ではなく、使われるようになるという表現が正しいと思う。
例えばテレビCMですよね。
若者向けの商品にラッパーが登場したりする。コーラとかね。
そうやって少しずつ社会一般の人たちも慣れていく。
そして今、ラップは音楽ジャンルのひとつとして認識されているし、ヒップホップダンスに至っては、表現力の授業として学校で採り入れられたり、NHK教育でヒップホップの衣装に身を包んだ子供たちが踊っている。
最後の決めポーズも挑発的なカッコ良いポーズをするんだけど、そこにはもう挑発はなく、あくまでもヒップホップの「形」となっている。
そこにブロンクスの黒人が訴えたかった社会への憤りはない。
いや、批判しているわけではないんですよ。
サブカルチャーって、こうやってメインの社会に飲み込まれていくんだなというハナシ。
時間をかけて毒やトゲを抜き、無害な形として成り立たせる。
この社会の包容力、ではないな、修正力というのか、サブカルチャーを洗濯するような働きって強力だなと思う。
洗濯され、毒を抜かれて一般的に認知されたサブカルチャーは最終的にどうなるのか?
それがお笑いネタですよ。
サブカルチャーに限らず、人が一生懸命になればなるほど、そこにはどこか「可笑しさ」が生まれるとボクは思う。
この可笑しさを捉えて、芸人さんたちはネタを作っているんじゃないかと思う。それが上手いなぁと思うのは、やっぱり中川家ですね。
高校生の頃、居酒屋でバイトをしていた。
純和風な居酒屋で、店内は古民家風、といっても今時のお洒落な感じではなくて、こげ茶の木目基調で、壁には藁の蓑が飾られていたりして、囲炉裏と呼ばれる席は、まさに真ん中に囲炉裏を模した飾りがあって、その周りをカウンター席が囲んでいる。12人くらい座れたのかな。
そんな居酒屋に、ある日、場違いな感じの団体がやってきた。
ヘビメタです。
1980年代後半はバンドブームで、ヘビーメタルも流行っていた。
彼らの格好といえば、もう想像つきますよね。
金や赤に染めた長髪、トゲトゲのついた黒の革ジャンですよ。
そんな彼らがギターやベースを背負い、グルーピーらしき女の子たちを引き連れてご来店。
10人くらいだったので、ボクは囲炉裏に通した。
おしぼりとお通しを出しながら、彼らの会話が耳に入る。
なにやら英語っぽい名前で呼び合っている。ケニーとか。本名は「けん」がつくんだろうね、健一とか、健太郎とか。
まずはみんな生ビールの中ジョッキを注文。
「それじゃ、今日のライブの成功を祝して!」
メンバーの1人の声で、みんな大きな声で「カンパ〜イ!」とジョッキを掲げる。
妙に日本的。金髪なのに、トゲトゲ革ジャンなのに日本的。
乾杯が落ち着いた頃に、ボクは食べ物の注文を聞きに行った。
女の子たちはメンバーたちにしなだれかかってベタベタしている。
「ねぇ、ジョン〜。ジョンは何にする?」
そうか、この金髪はジョンと呼ばれているのか?本名は純一とか?
「え〜、俺ぇ?」
舌がもつれるような、気怠い喋り方のジョン。いいから、早くしろ。
「じゃぁ、俺ねぇ、イカ納豆」
ダメだぁ、ジョン。ジョンがイカ納豆はダメだぁ。
ボクは笑いを堪えた。
じゃ、この店で彼らが何を食べれば良いんだという話になるけど、イカ納豆は秀逸すぎる。焼き鳥でもしめ鯖でもなくイカ納豆。
ボクを笑わせようとしているのか?
彼らも実家暮らしだったりしてね、家に帰れば両親もいる。
「あら、おかえり。ご飯食べたの?」
もう、息子のこの格好にも慣れた母親が優しく声をかける。
「食べた」
2階に上がって行こうとする息子の背中に母親が言う。
「おでん残ってるけど食べる?食べるなら温めるけど」
「あー、じゃ、食べる」
母親が台所でおでんを温めていると、長髪を結んで、上下スウェットに着替えたジョンが降りてくる。
父親は風呂上がりのビールを飲みながら、テレビのニュースを黙って見ている。
母親がおでんを持ってきてお椀によそい、ジョンに渡す。
「いただきます」
家では意外とちゃんとしているジョン。
「あ、糠漬けあるけど出す?」
「きゅうり?」
「そう」
「食べる」
少し嬉しそうに冷蔵庫に向かう母親。
まぁ、結局、日本の一般家庭にヘビメタは似合わないんですよね。
訴えたいメッセージもないし。
あれ?何の話だっけ?
そうそう、つまり、サブカルチャーはこういう経緯を辿ると言いたかった。
社会に対する反抗などのメッセージを持って誕生する
注目を集めだすと商業化される
メディアに頻繁に現れるようになり、一般的にも認知される
反抗やメッセージの部分を抜いた、形やファッションとして社会に取り入れられていく
お笑いのネタになる
逆にいえば、お笑いのネタになれば、それだけ社会に認知されたって証拠ですよね。お笑いに昇華されなかったサブカルチャーは、社会に認知される前に廃れたとも言える。
お笑いはその判断基準でもあるような。
お笑いってすごいなぁ。
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