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【記憶の街へ#11】言葉で伝えられなくても伝わっている

(2501文字)
高校生1年生から2年生にかけて、週に3日くらい千代田区神保町にあったカウンターだけのカレー屋でバイトをしていた。
牛丼チェーン店などでよくある、店員が動くスペースをコの字で囲んだようなカウンター。客席は12〜15くらいだったと思う。
埼玉からわざわざ東京までバイトに通っていたのは、神保町の隣にある御茶ノ水の中古レコード店に寄るためだった。
手渡しだったバイト料が入るとディスクユニオンへ。
チェスレーベルのブルースや、70年代のロックを買い漁った、と言いたいところだけど、漁るほどの金もないので吟味して悩みながら決める。欲しいレコードは山ほどあった。

そのカレー屋にはバイトがボクを含めて3人いた。男ばかりでみんな高校生。
Aは3年生でBが2年生、そしてボクが1年生。
Aは物静かな感じだったけど、無口というわけではなく、聞けば話をする。だけど何を考えているか分からない感じもあった。
Bは賑やかなお調子者で、常に何かを話していた。特に性的なことには好奇心旺盛で、Aに彼女とのことをいつも根掘り葉掘り訊いていた。
バイトが終わると、AとBはよく帰り道にあるゲームセンターに寄っていた。ボクも2〜3度つきあったことがあるが、お金はレコードに使いたかったので、百円玉をふたつも使うともったいなくて、あとは彼らが楽しむのを眺めていた。

店は夫婦が営んでいて、他にも店を持っていた。
マスターはカレーの仕込みの時にだけ来て、店の運営は奥さんがしていた。
土日は待つお客さんもいるほど繁盛していて忙しかった。
狭い店を、奥さんとバイト二人という体制でまわしていた。客の対応が二人に揚げ物担当がひとりという配置。
レジはなく、コインホルダーで釣り銭を出し入れしていた。
上にある写真がそれ。昭和40年代生まれまでなら、見たことがあると思う。
10円玉が入っている筒の下のボタンを押すと1枚出てくる。30円出したい時には3回押す。
もちろんレシートも出ないし、今のようにポイントなんていうのもなく、作業は至って単純でスピーディだった。
バイトがみんな慣れてくると、店はバイト3人に任せて、奥さんは釣り銭を持ってきたり売り上げを回収する時にだけ来ることも多くなった。
隣にも経営している店があったので、なにかあればそこの店長に頼れば良かったので不安もなかった。

3人で店を回すのにもすっかり慣れてきたある日、忙しい時間が過ぎてお客さんがいなくなった時、Aが慣れた手つきでコインホルダーの100円のボタンを3回押した。
もちろん300円が出てくる。そしてAはその300円をボクたちが見ている前でポケットに入れた。
それを見たBが驚いて「大丈夫なの?」と聞く。
「だって、こんなコインホルダーで売り上げ管理してるんだぜ?少しくらい少なくたってわかるわけねぇよ」
一番安いカレーの並盛りが350円だった。大きな鍋から何杯のカレーが出せるかの目安はあったと思うが、大盛りの時もあるし、厳密に計って出しているわけではないので、誤差も出るだろう。
その日に何が何杯出たというデータもないから、確かに数百円なら気がつかれないように思えた。
それを見たBが「じゃ、俺も」とニヤニヤしながら、その日は100円だけポケットに入れて、「お前も持っていけよ」とボクに言った。
しかし、ボクにはどうしてもできなかった。
それは犯罪だからとか、悪いことだからとか、正義感からとか、オーナー夫婦に悪いからとか、そういうことではない。
生理的にというか、心も体も全力でそれを拒否しているような感じがした。

それから、彼らの窃盗は状態化した。
何度か「お前もやれよ」と言われたけど、やはりできなかった。やりたくなかった。彼らは共犯にした方が安心だと思っていたようだけど、ボクが密告するとも思っていなかったようで、それ以上は強制してこなかった。

それから3ヶ月くらいして、オーナーに突然呼ばれた。
狭い更衣室で面と向かって言われた。
「最近、売り上げが合わないのだけど、君は何か知らないか?」
ボクは知らないと答えた。
オーナーはしばらくボクの顔を見つめ、そうか、何か思い当たることがあったら教えてくれと優しく言った。

その翌週、いつも通りバイトに行ってみると、土曜日だけど今日は奥さんと2人だという。
忙しくなるけどがんばってねと言う奥さんに2人のことを訊いてみた。
「ふたりとも急に辞めたのよ。困っちゃうわよね」
そう言って笑うだけで、何があったかは言わなかったけど、2人が釣り銭を盗んでいたことがバレたのは明白だった。
おそらく、ボクがそれを知っていたことも分かっていたと思うけど、それについては何も言われなかった。

今、あの時ボクはなぜ彼らと同じように盗みをしなかったのかと考えてみる。
だけど明確な答えはない。正義感ではないし、バレたら怖いということでもない。
これはもう、刷り込みに近い教育なんだろうと思う。もちろん父と母の。

母は、定年退職してから、ある家のお手伝いさんとして働いている。
今はもう85歳で、週に1〜2度だけで、昔のようには働けないけど、それでも働かせてくれている。
もう母は金のためというわけでもなく、健康のため、ボケ防止のためという感じだけど、働かせてくれるところがあるというのは、本当にありがたいことだと思う。
その母が働き始めた頃、こんなことがあったという。

その家はいくつも事業をしていて、旦那さんが社長だった。
わりとズボラな人らしく、脱いだ背広がテーブルの上に乗せられていた。
母がその背広をハンガーにかけようと持ち上げると、背広の下には一万円札の束が置かれていた。
驚いた母は、社長が戻ってきた時に、強い口調でこう言ったそうだ。
「こんなところにお金を置かれると困ります。こんなことされたら、人間誰だっておかしくなってしまいますよ!」
そんな母だから、20年以上も信頼されて、そこの子供たちからも親戚のような扱いをされているのだと思う。

父と母の価値観が、ボクの中にも生きていたのだろう。
言葉で伝えられなくても、そういうことは伝わっているものなのだ。

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