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【日記】あなたの「楽しい」と、私の「楽しい」は同じ?

ボクは山に登る。
山登りは楽しい。
しかし、その「楽しい」にはいくつかの種類がある。

登山道を歩いて山頂を目指し、登頂して下山する一般的な登山での「楽しい」は、リラックスして風景を楽しんだり、登頂する喜びを得る楽しさ。

それに対し、登山道以外のルートを歩くような独自の計画を立てて、それを遂行するというような登山の「楽しい」もある。
これは説明しないと分からないと思うので、まずは図を。

飯豊山周回

先月に登った飯豊山の周回ルート。
赤線で書いた部分には登山道がない。
しかし、地図を見ていて、この区間さえ繋げばぐるっと周って帰ってこられることに気がついてしまった。
もうここから登山が始まっている。
この区間の距離は約3キロ。登山道がないということは、木の枝や笹藪などをかき分けながら歩かなければならない。
尾根を外してしまうと谷に引っ張られてしまう危険もある。
情報収集すると、わずかに踏み跡があるとの話も伝わってきた。
しかしそれがどれくらいの区間なのかなど、その他の情報はほぼない。
標高や地形から、植生を予想し、かかる時間を想定して計画を立てる。
ちなみにこの区間、4時間と計画して、実際にかかった時間は3時間半。ほぼ予定通り。
下から1/3くらいに踏み跡はあった。おそらくキノコ取りで入る地元の方によってつけられたと思う。

道なき道を行く


最後は7mほどの崖に行く手を阻まれたが、こういうこともあると思って15mのロープを持ってきていたので無事クリア。
そして湯の島小屋に泊まり、翌日は険しいことで有名な飯豊連峰の登山道の中でもより険しいオンベマツ尾根で連峰最高峰の大日岳を目指した。

大日岳と、その前に立ちはだかる牛首


暑さにやられながら10時間半で登頂。
前日の藪こぎ、そしてこの厳しいルートを登り切って、夕暮れが迫るひとりの山頂で自然と笑いがこみ上げる。
ひとしきり大笑いした後、鼻の奥がツンとして、涙がこぼれそうになった。
限界に迫るような苦しさだけど、ボクはこれが「楽しい」のだ。

この「楽しい」を分類すると、前者は「消費としての楽しい」で、後者は「創造としての楽しい」だとボクは感じている。
自らの好奇心を満たし、さらに自分だけの計画を達成することで、自己表現をしているのだと思う。
計画の立案から達成までが「作品」だ。

他にも登山の楽しみ方はある。
仲間とワイワイ話しながら、花や植物、登山そのものの情報を出し合いながら楽しむ登山も良い。
ボクはやらないけど、より速く、より長くというようなアスリート的な楽しみ方をする人たちもいる。

なんでこの話を始めたかというと、同じ「楽しい」という言葉でも、人や状況によって考えていることが違うということが言いたかったから。
「楽しい」だけではない。
言葉というのは、その表面だけを見ているだけでは伝わらない。
「楽しいって言ったのに」
「楽しいじゃないか」
ということもあるだろう。
その言葉の定義を決めていくのが、仲間になるということなのかもしれない。

ちなみに、
「愛してないの?」
「愛してるよ」
なんてこともあるよね。
愛の定義を整えていくのが、夫婦や恋人同士には必要なのかもね。

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