【エッセイ?】プチ旅行とオジサンの悲哀
今日は用事があって、山形まで電車でプチ旅行をした。
仙石線でロングシートの通勤電車に乗り仙台まで。
そして仙山線のボックスシートの電車に乗り換える。
ボックスシートはそれだけで旅行気分が味わえる。
ホームで待つ乗客は少なく、電車が来るとボクは眺めが良い進行方向右側のボックスに腰を下ろした。
程なくして、隣のボックスに白を基調としたワンピースの女性が座った。
歳は30歳前後。肩までの黒髪。少しスマホを見た後、生成りのバッグから文庫本を取り出した。なんだか好感が持てる。
そして各ボックスにひとり、またはひと組ずつの状態で電車は出発した。
ふたつ目の駅に到着すると、5人くらいの客が乗ってきた。
4人はボックスシートではない、ドアの両脇にあるシートに腰を下ろした。
そして残るひとりはボクと同年代のオジサン。
白いシャツにグレーのスラックス、そして肩掛けカバン。ネクタイを外したサラリーマンスタイル。
髪は前から薄くなっていて太り気味。薄っすら汗をかいて、ちょっと油ぎっている。
そのオジサンが一瞬立ち止まり、ボクと女性のボックスに目をやった。
明らかに、どっちに座ろうかと考えている。
どっちだ?
ボクは外を眺めるふりをしながら、視界の端でオジサンをロックオンしていた。
どっちなのだ?
するとオジサンは少し視線を上にして、網棚あたりを眺めながら、ゆっくりと女性の方に座った。
チャレンジャー!
気持ちは分かる。そりゃ、女性の方に座りたいよな。
だけどボクはできない。
女性は文庫本に視線を落としたままだけど、
こっちに来るのかよ!
そう思っているはず。
いや、そんなことは微塵も思っていないかもしれない。しれないけど、するかもしれないじゃないか。
その可能性を考えると、ボクには女性の方を選ぶ勇気はない。
自分にできないことをやってのけたという意味では、ボクはオジサンに拍手を送るべきなのか?
しかし彼は知っているのか?
オジサンはこの世で一番肩身の狭い思いをしながら生きていかなければいけない生き物だということを。
オジサンは肩掛けカバンから綺麗に畳んだハンカチを取り出して額の汗を拭った。
あのハンカチは誰が畳んだのだろう。奥さんか?
いや、もしかしたら、彼は未婚で、年老いた母親が畳んだものかもしれない。
「ホラ、ハンカチ、忘れてるよ」
「ああ、ありがとう。じゃ、行ってくるよ」
「暑いから無理しないようにね」
50歳を超えた息子を、80歳の母親はまだ子供のように扱う。
息子はずっと子供扱いされるのが嫌だったが、この歳になると素直に嬉しく思えるようになった。
「母さんも無理しないでね。電気代は気にしなくて良いからエアコンつけて、ちゃんと水分も取るんだよ」
「分かってるよ」
「うん、それじゃ、行ってきます」
男は家を出た。まだ8時前だというのに暴力的な熱が体を包む。
腕時計に目を落とす。少し早足で歩かないと電車に間に合わないかも。
男はカバンを肩に掛け直してスピードを上げた。
そんなことを考えていたら、オジサンが汗をかいていたって良いじゃないか、そう思った。
ワンピースの君よ、どうかオジサンを怒らないでくれ。毛嫌いしないでくれ。
オジサンだって人の子なんだ。一生懸命生きているんだ。
あなたの方に座ったのは、オジサンはそれだけ素直なのだと思ってくれ。
今夜、ボクも年老いた母親に電話してみるよ。
ありがとうオジサン。
だけどな、もし可愛い奥さんに愛されて幸せな生活をしてたら許さないからな!
なんで?じゃない!
なんでもだ!
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