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薬物と逃げた後悔に向き合う

▶︎プロローグ

人にはそれぞれその人の人生があって、人生を歩んでいく中でその人なりの方法で後悔や挫折と向き合っている。それは人と比べるようなことではなくて、自分自身で向き合うものであって、それに忘れようにもポッとした瞬間にまた現れたりする。

冒頭で断っておくと、これは決して「ヤクもやってきたし!」みたいな武勇伝なんてものではなくて、「薬物ダメ絶対!」と声をあらげるようなものでもありません。僕自身が薬物を摂取していました、という話でもありません。
また、薬物が中心となる話でもなく、あくまでも薬物の話は前置きで、肝心なことはその友人と、どうやって離れてしまったかという部分です。

人生の節目を迎える自分に対する整理のようなもので、読んで頂いた方がどのように感じるのかを全く意識していないことを冒頭で謝罪しておきます。

まず初めに、知ってほしいこと。

※ここから先、今まで僕自身がSNS上であまり話してこなかった内容も隠すことなく書いています。これは不幸自慢でもなく、話さないと始まらないことを話すうえでの前置きとなります。とても迷いましたが、前置きとして書くことにしました。

僕にはこれまで生きてきた人生において、どうしても心の中で整理がつかない5つの後悔という記憶、思い出があります。

後悔①
幼少期の頃に国道沿いで近所の友達と遊んでいたとき、車道を挟んで反対側の歩道を歩いていた近所の女の子に手を振ったところ、その女の子が車道に飛び出してしまい車にひかれてしまったことです。
幸いなことに命に別状はありませんでしたが、僕自信の軽率な行動によって人が大きな怪我をしたことが怖くて怖くてたまりませんでした。

後悔②
反抗期における母親への数々の言葉の暴力です。
これについてはラジオ配信(stand.fm)などを通じて過去に何度かさわりを話したことがあります。今でも拭うことの出来ない後味の悪い後悔です。

後悔③
20代後半の頃に遠距離恋愛でお付き合いをしていた女性が、集団暴行の被害にあったことです。
これについては生涯誰にも話すつもりはありません。何もしてあげられなかった悔しさは言葉では表現することが出来ないし、当人のことを考えると話すようなことではないと思っているからです。これだけはお伝えしておくと、今現在、その女性は幸せな家庭を築いています。

効果④
30代前半から半ばに働いていた職場において、精神的ストレスから心の病になり、それと戦っている最中、知人にお金を騙し取られたことです。ほぼ全財産。
その頃の僕は精神的にかなり弱っていて、そんな時に人間の心の拠り所の1つであるお金が無くなってしまったショックで、かなり参ってしまいました。当時の記憶は今でも少し曖昧です。

そして、5つめが薬物によって友人を2人失っていることです。
今回はこのことについて、主に1人目の友人、先輩とのエピソードを書いていきたいと思います。

そもそもなぜ、このテーマで今まで語ることのなかった話をしようと思いたったのか。そのきっかけはふとしたタイミングのようなものでした。

まず、失った友人の話題が上がったこと、そして知名度の高いラッパーが大麻取締法違反で逮捕されたこと、薬物をテーマとしたドキュメンタリー動画をふと目にしたこと、これら色々なタイミングが重なって、この後悔をもう一度整理してみようかなと思いたちました。

心のどこか奥の方にずっと存在はしていて、普段は意識しないことでその記憶の存在から目を背けていました。
今回、ここに書くことで、自分の気持ちを整理して、晒すことで少しでも自分の気持ちと折り合いをつけたいと思ったからです。

前置きが長くなりましたが、言ってしまえばある意味この前置きが重要でもあるのでお許し下さい。

▶︎中学生
薬物との意識的な距離

中学生の頃、詳細は伏せますが、僕の住んでいた地域には割と身近な距離に薬物というモノが存在していました。
スラム街や都会の夜の繁華街ような、どこか憧れてしまうようなカッコ良さはなく、田舎町に地味にとにかく地味に存在していました。
ある地域に反社会組織の支部が存在していてことも要因の1つだと思います。

僕自身、今まで薬物を使用したことはありませんが、中学生の頃に好意を寄せていた女の子が薬物を使用していたり、先輩や、知人の親が使用しているといった話も耳にしていました。

もちろん、大半の人は普通に生活をしていて、そういった薬物に手を出す人はごく一部です。
中学生だった僕が自転車に乗って友人の家から自宅へ向かっていると、坂道を下ったところに人がいて、話しかけられたので止まってみたら薬物でハイになってしまった人だった、というようなことも何度かありました。

中学3年生の僕は好意を寄せていた女の子に、薬物をやめるように説得する日々を送っていました。
授業中に手紙のやり取りをするのが日課だった僕たちの手紙の内容は、ほぼ薬物の話になっていきました。
「あぁ、アレやりたい。アレ切れてきた」
「全然寝てないし、食べてもない」
そんな手紙を読みながら、もうやめな、と説得する日々でした。

その女の子が薬物に手を出してしまった背景には、先輩の彼氏という存在がありました。
幸いと言いますか、その彼氏とのお付き合いの末に、色々なことがあり最終的には薬物をやめて1人の立派な母親になりました。

こうして、中学生の僕は薬物というモノを身近に感じつつも、それが人に与える影響や、摂取している人に届かない声や、縮めることの出来なかった距離を実感したのでした。

▶︎高校生
HipHopを通しての出会い

僕は中学生のときにHipHopというカルチャーと出会いました。きっかけは友人がターンテーブルを購入してDJをやり始めたことです。

その当時、日本ではまだHipHopというカルチャーがあまり根付いておらず、友人の家に遊びに行った時にかけてくれた曲のカッコ良さに、かなりの衝撃を受けたことを今でも覚えています。
Wu-Tang Clanだったかな。
レコード店の通販雑誌を取り寄せて、レコードを選んで、買って、届いたレコードをかけたり、Mixテープ(DJが色々な曲をつなげて1つのカセットテープに録音したもの)作りを横で見ていたり、スクラッチや曲を繋ぐ練習を一緒にしたりと、どれも楽しい時間でした。

やがて高校生になって、その友人は地元の先輩に誘われてクラブでDJをやり始めました。
最初は単身でDJをしていたその友人は、その内に2人のラッパーを加えたグループを結成しました。
そして、その友人とよく遊んでいた僕も流れでラッパーとしてそのグループに参加することになったのです。

ここで、僕自身の性格について少し触れておこうと思います。
まず、気弱です。ガタイが大きいせいか中学生の頃からたまに喧嘩に絡まれたりしていましたが、実際には気弱で神経質で気にしいな性格をしています。

そんな僕がいざ人前で、しかもゴリゴリの人達を目の前にラップをするんですから、緊張しないはずがありません。精神的にも毎回削られていきました
リリックを考えたり、ラップをしたりすることは凄く楽しい反面、そういった性格上向いていないことをする時間に対してストレスを感じるようになっていきました。

数ヶ月間、僕達は1DJ+3MC(3人のラッパー)のグループとして活動をしていましたが、その内の1人が抜けて1DJ+2MCで活動することになりました。
活動としては、地元やその近隣にある3つほどのクラブで月に1、2回程度ステージに立って曲を披露するというものでした。

DJをしていた友人は既にクラブでかなりの人気があり、僕らの地元にHipHopというカルチャーを広めた存在の1人と言っても過言ではないと思っています。

そして僕と一緒にマイクを握っていたもう1人のMCは、地元で知らない人はいないというレベルで有名な喧嘩が強い先輩でした。

僕とその先輩は夜に合流して、先輩の運転する車に乗せてもらい、曲をかけながらドライブをして、お互いに考えてきたラップを披露するということをよくしていました。この時間がものすごく楽しい時間でした。

クラブでの活動を続けていくうちに、色々な知り合いが出来ました。HipHopを通じて出会った人達、人と人の繋がりから出会った人達。沢山の人達との出会いが、僕とHipHopとの距離を離していくことになるのでした。

▶︎逃げた逃げた、最低

活動を続ける中で出会う人達は皆んな、オシャレでカッコ良くて、「自分を持ってる」という表現が似合う人達ばかりでした。

ムキムキの腕にタトゥーが似合ってる人、服屋をしながらギャングチームのリーダーをしてる人、そのギャングチームの人達、クラブのオーナーさん、自分達でレコーディングまでしているグループの人達、美しい女性シンガーの人、ダンサーチームのお洒落な人達。

自分の後ろには、皆んなから認められた実力のあるDJ、自分の横には、書くリリックもラップも最高に上手いセンスのある名の知れ渡っている先輩

ある日の夜、ステージに立った僕はふと思ってしまったんです。
僕はここに立つ資格があるのかな?って。
ラップも大してそんなに上手い訳でもなくて、見た目もダサくて、小心者の自分が、ただ友達がたまたま人気DJなだけで流れでラップをすることになっただけでの自分が、誰の前に立つ資格があるのかなって

もちろん、ラップは大好きでした。
それまではただラップが好きで、毎回ステージでは緊張するし、性に合わないことが多くて辛いこともあったけど、ラップが好きだから続けられていたのが、その日、自分の中で何かが崩れてしまったことに気付きました。

皆んなに笑われているように感じて、また、皆んなに求められていないような気がしてしまったんです。その場にいるとこが酷くいたたまれない気持ちになり、逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。

もちろん、そのDJの友達や、一緒にラップをしていた先輩が僕のことをどう思っていたかなんてわかりません。2人とも優しい人なので。

それから僕は、たびたびステージでミスをするようになりました。リリックが頭から抜けてしまうことが増えて、即興でラップすることで誤魔化していました。
ステージが終わる度に、2人に謝ることが増えました。特に一緒にラップをしていた先輩に謝りました。

その辺りから、僕の中で色々なことが崩れていって、練習もサボりがちになり、何かと理由をつけてステージも休むようになりました

つまり、逃げたんです。次にあるステージの予定を知らせるメールや電話が怖くて仕方がありませんでした。
ちょうどその頃、学校で集中して取り組まないといけない行事があり、それを言い訳にして逃げていました。逃げて、逃げて、逃げました。最低です。

そうやって逃げているうちに、先輩から練習の誘いが来なくなりました。
最低なのが、僕はそれにホッとしてしまったことです。
たぶん先輩は察してくれていたんだと思います。とても優しい人だったし、最初の1人が抜けたときの経験もあったからだと思います。

▶︎後悔

それから少しの月日が流れて、僕は学校を卒業して県外に就職することになりました。

その間も友人とは遊んだりはしていましたが、グループのことについて話すことはあまりありませんでした。

そして、先輩とは疎遠になり、会うことはありませんでした。

正直、会ったら何て声をかけたらいいのかわからなかったし、怖かったんです。
僕に対して怒っているのか、どう思っているのか、最後まではっきりさせないままだったからです。

僕は県外に引っ越しをして、就職先で働きながら一人暮らしをしていました。その間も友人と先輩の活動については聞いていたし、気にもしていました
曲を聴く度に先輩のラップはカッコ良くなっていたし、レコーディングをやり始めてからは特にカッコ良かったんです。

先輩はとても真剣にラップと向き合っていて、出会った当時、まだ地方には根付いていなかったフリースタイルついても早くから練習に取り組んでいました。
リリックはリリシズムだったし、暴力的になる部分も含めて、曇りなきまなこで見定めたとしても最高でした。

とある日、いつもと何ら変わりのないその日。

友人から電話があり、先輩が亡くなったことを知りました。

薬物の過剰摂取とのことでした。

その連絡を受けてから自分はしばらく放心状態になり、車でブラブラ街中を走り回りました。
何を考えることもなく、ただひたすらブラブラと走り回って、それからお腹が空いていることに気付いて、ハンバーガーを買って、駐車場に車を停めて、ハンバーガーを食べていました。

その時、ようやく実感が湧いてきたのか、大きな後悔が押し寄せてきて、感情が溢れ出てきました。

自分があの場から逃げ出さなければ、こんな最後になっていなかったかも知れない。先輩は自分のことをどう思っていたんだろう。何があってこうなってしまったのか。色んな感情が溢れ出てきました。

その中でも、最後にひとこと何故自分の本音を正直に話して、しっかり先輩と向き合わなかったのか、その後悔が、1番大きく押し寄せてきました。

それから僕は先輩の曲を聴く度にこの感情と向き合うことを避けてきました。
今更何をどう考えようがどうしようもないと思ったからです。

中学生の時に身近で感じた薬物というものが、自分の大切な人の命を奪った。ただ、その事実があるだけだと。

ただ、今回このnoteを書くにあたり、当時の感情をありのまま書くことで、この後悔に折り合いをつけたいと思ったんです。
自分勝手な考えですが、今さらながら先輩に本音をカミングアウトするように。

これからも、この後悔が消えることはありません。ただ、少しだけ、折り合いをつけたかった、ただそれだけのnoteでした。

僕は決して逃げることを否定はしません。逃げることが悪いことだとは思わないし、逃げるという言葉の表現がネガティブなだけだと思っています。
ただ、逃げた先で後悔するのはもう最後にしたいなって。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

最後はラップで締めさせて頂きます。

今更だけど綴ったガチの本音/逃げてごめんね/
あの時は出来なかった夜のおねんね/毎晩のように乗り込んだ真っ黒なMOVE/中で飲んだブラックコーヒーは俺の大人のルーツ/語り合ったリリックにじっくり聴いたchicなmusic/coolの香りが充満する車内/あの時間は全くの嘘じゃない/途中で降りた俺は俺の道を歩いて/
聴いてきた曲は数えられないほど/背けた数も数えられないほど/ハンバーガーと一緒にコーラが通る/最後に見たのはあの雑誌だった/たったこれだけ?って数じゃないほどのインタビュー受けてた/見とけ!って顔で乗ってたスカイブルーのシボレー/あっちでも乗りまわしてんだとしたら/また乗り込んでもいいかな?そん時が来たら

おしまい

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