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『 食べるということ(5)』

今回は前回に引き続き、靈的に見た「毒」について、肉体や食物連鎖についても見直しながら考えていこうと思います。
人によっては腹立たしく、耳が痛いかもしれませんが、靈性の上がってゆく地球の未来に暮らすためには避けて通れないことなので、僕なりの言葉でまとめるつもりです。
今回も十人十色、百人百色の一つとしてお付き合いください。
(※今回もフリー素材の絵をお借りし加工しています)

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まずは「靈的な毒」を考えるにあたり、僕たちや家畜の器である「肉体」と「食物連鎖」について少し振り返っておきます。



【「肉体」と「食物連鎖」 】

「動物」や「植物」とは物理世界での仮の姿形であり、魂が物質世界で学ぶためにお借りした大切な容れ物です。

魂が成長すると、より大きな「学びの器」を借りるようになります。
もちろん誰が何でも借りられる、というわけではありませんけどね。

時、所、肉体を変えながら多角的に経験し、学びを深めていく

僕たちは皆、色々な「肉体」を借りて学んできました。
草も虫もカエルも魚も、牛もライオンも借りた器の形が違うだけであり、中にある御魂は僕たち人間と変わりません。

そして何度も器を変えて転生しながら、食物連鎖の中で「食べ」「食べられ」の双方を通じて「命」を学び、自愛と他愛を深めていきます。

もしも「食べる」から離れ、もっともっと深い学びを求めるようになれば、「食物連鎖を促す側」である山や海、さらにいつかは星といった「神」と呼ばれるような大きな器をお借し頂けるのかもしれません。


食物連鎖」は一見残酷に思えるかもしれませんが、地球の生態系と環境を守りつつ、魂の成長を促す大切な「仕組み」です。
一部が増え過ぎないように「食べる」によりバランスを保ちますが、例え食べる側であっても死を迎えれば、小さな生き物たちに食べられます。

全ては循環の中にあるということです。

食物連鎖の一つの例




【 己の食べるもの 】

その中でいわゆる動物たちは「己の食べるもの」を間違えません。
狩る対象も、食べる草も、果実も。

例えば、トラもライオンも、満腹ならば目の前のウサギを追ったりはしませんし、逆に川で溺れている弱い動物を助けることすらあります。

「野菜が虫食いだらけ、憎らしい!」といった場合も実は、弱って栄養がスカスカだったり、化学肥料が過剰だったりといった「人間には不要な部分」を虫が先に食べてくれた結果です。

虫食いだらけの野菜は、何かバランスが悪いのかも?

僕たちは身体が楽になるのだから、ありがたいはずなのに虫を憎みます。
さらに、既におかしな野菜なのに見た目を優先して農薬を撒きます。

畜育も同じで、農薬だらけの安い穀物に、成長加速と病気予防の薬を混ぜて食べさせます。

そうやって食の循環の中に自ら毒を混ぜ続け、虫も食べないくらい添加物だらけの加工食品を過剰に生産し、安全な物ほど食べずに捨ててしまいます。

今人間だけが「己の食べるもの」を判断できないのです。




【 宇宙的な「食物連鎖」】

では、もう少し広い目で見てみましょう。

宇宙には目に見えないエネルギーが満ちていて、大きな流れがあります。
「血液」が僕たちの肉体の隅々まで酸素と栄養を運んでくれるように、宇宙のエネルギーも銀河団へ伝わり、銀河へ、太陽へ、そして地球へと巡ってゆくのです。

地球に届いたそのエネルギーは、大気で光になり、地にぶつかり熱となり、生命の源となります。

太陽エネルギーは大気の粒子と衝突して乱反射で光り、地表の物質と衝突して熱になる。
地球の大気はとても厚く、宇宙は遥か1万キロの彼方です。

植物と微生物は協力して、光や熱となった宇宙エネルギーを元に酸素や栄養を生み、さらに彼らが同時に作り出す電気やガスなどによって今の地球は成り立っています。

最終的に体内に入った栄養素は、微生物によって分解され、必要なエネルギーに変換し直されます。

つまり僕たちは植物や微生物の力を借りて、間接的ながら宇宙エネルギーを食べて生きているということです。

人間は、本当は動物を食べなくても生きられる

全てを無償で頂き、循環の中にあるのならば、僕たちは宇宙にどんなお返しができるでしょうか?

宇宙が広がり続けるよう、日々「喜び」という質の良い情報エネルギーを生むことではないか?と僕は思っています。




【 身魂に溜め込む 靈的な「毒」】

それではやっとですが、本題に入ります(笑)

今までも何度も書いてきましたが、僕たちの本体は「靈魂」であり、多くの経験を複雑に積み重ねてきた「波動の集合体=エネルギー」でもあります。
だからこそ「念(波動)」からは良くも悪くもダイレクトに影響を受けることになります。


もちろん念は、物理的にも影響を与えます。

水は波動を記憶する、と聞いたことがあるでしょうか?
僕たちの肉体の2/3は水分ですから、己の思考感情も、食べ物や誰かからの苦しみや悲しみ、恨み辛みといった「負の念」も転写されます。

同じく食べ物にも転写されます。
昔から「隠し味は愛情」と言いますが、冗談ではなく、良くも悪くもハッキリ影響するのです。


また、怨靈(怨念・恨み辛みを持った靈)に取り憑かれると、思考に影響を受けることがあります。
なにせ靈には大きさの制限がありませんから、細胞に入り込むことも脳の中に居座ることも可能です。

脳の内側から「悪意」を送り続けられれば、それが自分の想いであると勘違いして、どんどん意識が負に偏っていきます。

背中に憑いているだけじゃなく、体内から悪さすることも、、、

では、動物たちから「負の念」や「怨靈」が生みだされる例を見ていきましょう。




【「死」の恐怖と怨念 】

僕は子供のころ、食事の前に「いただきます」と手を合わせ感謝するよう教わりました。

確かに食材や作ってくれた人に感謝することは大切だと思います。

食べ物に手を合わせるように教わったが、深く考えなかったなぁ、、

しかし食べられる側は、手を合わせる姿に「己が食べられること」を納得してくれるでしょうか?
特に家畜動物は思考能力が高いので、イヤなのではないでしょうか?


微生物や草、小さな虫などは痛覚も無いし、集合意識の中にいるため、食べられることを個別に意識していません。
逆に、食べられることを喜んでくれる場合もあります。

しかし固体としての意識が強くなれば「死」を恐れるし、必死で逃げ、泣き叫んだりします。

個体差はあるけど、やっぱり逃げるよね~


さらに分かりやすく、自分が食べられるとしたらどうでしょうか?
手を合わせ「お前をありがたく食ってやる」と言われて「どうぞお食べ下さい」と言えるでしょうか。
僕なら絶対イヤだし相手を恨むでしょう。

誰だって、食べられるのはイヤだよなぁ、、、


喩え話ではなく、広い宇宙には実際にそんな星があるかもしれません。

もしも人間を「家畜」として飼っているような星に転生させられたとしても、他の命を大切にしなかった己の因果ならば仕方ないですよね。

他にも「他を苦しめてでも食べることが好き」ならば、そういう似たもの同志が集まる星では、お互いに食べたり食べられたり、、、とかもです。

魂の学びは永遠なんだから、何度でも、「もうイヤ」ってくらい苦しみを繰り返しても良いのです。

・・

(※)余談ですが、僕たちは動物だった頃も含め、過去生のことを忘れて生まれて来ますが、それは配慮なのかもしれません。

喩えば近所の人を見て、「あ、こいつ過去生で何度も俺を食ったヤツだ!」とか覚えていたら結構ツライですよね。
まぁ、覚えてなくても因縁は消えないので「何となく仲良くなれない」原因の一つとなっているのかもしれません。




【「家畜」の怨靈化・悪靈化 】

人間がそうであるように、家畜たちも殺されれば恨みます。

恨み辛みの怨念を持った靈(=怨靈)となり、負の念を吐きながら、相手を苦しめる靈(=悪靈)となって付きまといます。

中には「なぜ殺されたのか」ともっと深い原因を探る物もいるでしょう。
、、、まぁどう考えても原因は「食べる者が居るから」ですよね。

仕組まれた罠とはいえ、需要があるから供給されている


さらに「殺されたくない」という強烈な念が日々世界中で生み出されていますから、それらも集まって想念靈となり、怨靈と同じように殺す者や食べる者を見つけては呪うようになります。

食料大国とはいえ、一国でこの量。 世界全体では、いったいどのくらいの数が、、、


昔は「食べるために必要な分だけ狩る」だったし、食べる者もきちんと弔っていました。
しかし今は加工も流通も複雑になり、実際問題、誰に食べられるのかすら分からないでしょう。

恨みの対象がはっきりしない上に、世の人々の多くが畜肉を口にするため、人類全体の責任として、日々悪因縁を増やしながら引き継がれています。




【「浄靈・浄化」】

負の念を取り込めば、心も身体も負のエネルギーが溜まり病んでいきます。
そうなれば怨靈たちからも「俺たちを苦しめた原因」と認識され、個人攻撃を受けて益々苦しむかもしれません。

だからこそ日々の「浄靈・浄化」が大切になってきます。

例えば
 ・なるべく毒を口にしない
 ・もし口にするなら、できるだけ先にきよ(清)める
 
己の肉体と靈体も浄め、他の毒も出す
 ・怨霊となった靈たちをなぐさいや

といったところでしょうか。

それぞれ方法はたくさんありますし、形にこだわる必要もありません。

浄化の例。 嘘のない真の感謝は相手を癒し、負の念も変えてゆく

今地球は大変わりの真っ最中です。
この先しばらくは、靈感が上がってきて悪靈からの影響に苦しむ人も増えると思います。

まぁそれも、ずっと先の地球では味わえない苦しみであり、悪しき世でありた様を、その中で得た苦い経験を、しっかりと魂と宇宙に刻み込む大切なお仕事なのかもしれませんね。

・・

最後に、以前から書いている「自己責任で何を食べても良い」についてですが、好き勝手に食べた結果、己の因縁に他を巻き込んでしえば「無責任」となりますよね。

これからは因縁は自ら解決する時代になるのです。

たかが食べること。されど食べること。 みんな責任取れる?


・・・・

今回はここまでです。

毒は様々ですが、どれも身体に溜まれば不調や病気に苦しみます。
そうなっては最も身近な存在であり、最もお世話になっている「己の肉体」からも苦情が出るようになります。
できれば避けたいですよね。

次回は「靈的な情報の融合」という面からエネルギー収支を考え、総合的に「何を食べるべきか」を考察していこうと思います。


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