見出し画像

黄エビネが咲く庭で (第四章 母のリハビリ、父のお見舞い)

第四章 母のリハビリ、父のお見舞い

 その日から、蒼生の父は毎日、妻が入院している病院にお見舞いに行った。
 連日、車で往復130km以上の距離を、妻の着替えや入院に必要な書類などを携え、自分で軽自動車を運転しながら、愛する妻に会うために、蒼生の父はハンドルを握った。
 大雪が降る日は、交通渋滞やノロノロ運転の中、片道2時間以上かかることもあった。それでも蒼生の父は、妻のお見舞いに行った。とにかく毎日病院にお見舞いに行った。そうしなければ、蒼生の父の胸の中の切なさや不安から来る心のざわめきが収まらず、居ても立ってもいられなかった。

 蒼生の母が入院した時は、世界中が新型コロナウイルスの脅威にさらされている頃だった。
 厚生労働省の指導のもと、日本中の病院が、あらゆる人の入院患者への面会を断っていた。たとえ身内が来たとしても、だった。蒼生の父も、蒼生も、母が入院している病室には入れなかった。
 だが、蒼生の母は、父が着替えを持ってきたと看護師が伝えると、
「なんとしても父に会わなければ」
と、車椅子に乗って、点滴を押しながら、父の顔を見に病院の玄関近くまでやってきた。
 新型コロナの感染拡大防止のため、透明で分厚いビニールシート越しだったが、二人は数分間、会話をした。これを蒼生の父も母も、毎日続けていた。
 
 蒼生の母は、手術後数日は集中治療室で安静にしていた。その後、一般病棟に移り、リハビリを開始した。
 元来蒼生の母は生真面目で、自分が良いと思ったことや信じたことは、とことんやりぬく人だった。
 リハビリも、主治医や看護師から
「早くリハビリを始めると、体力も早く元に戻りやすいし、退院も早まるかもしれない」
と説明されたら、蒼生の母は目の色を変えて、リハビリに真剣に取り組んだ。
 蒼生の母は、自分の夫が待っている自分の家に早く戻って、これまでのように夫婦で一緒の時間を過ごしたかったのだ。

 リハビリは、通常リハビリ室で、リハビリテーション技師の指導の元で行われる。
 蒼生の母はそれだけでは飽き足らず、毎日のリハビリ室までの移動も、看護師に抱えられながらも自分の足で歩いて行った。リハビリ終了後は、自分の病室まで再び看護師に抱えられながら、自分の足で歩いて戻った。さらには、蒼生の母は病室前の手すりに捕まりながら、ゆっくり、狭い歩幅で、でも懸命に歩いた。自分がやっていることが全てリハビリになり、少しでも速く家に帰れるようになると信じていたからだ。
 一方で、自分の足の筋肉が衰え、早く歩けなくなっていることを蒼生の母は自覚していた。これでは退院まで時間がかかってしまう・・・。蒼生の母はそう思い、なんとかして以前の体力を取り戻そうとしていた。
 そして、蒼生の父がお見舞いに来ると、自分はここまで体力が戻ったんだと見せたくて、蒼生の母は気丈に明るく振る舞い、笑顔でゆっくり、病院の手すりに捕まったり、歩行器を使いながら、蒼生の父と会って、わずかな時間の会話を楽しんだ。

母の病状の悪化

 しかしながら、入院中は、ベッドで寝ている時間の方がリハビリの時間よりも長かった。そのため、蒼生の母の全身の筋力はやはり落ちてしまった。
 歩行器を使わなくても、手すりにつかまれれば歩ける程度に回復していた蒼生の母ではあったが、歩くスピードが速くなることはなかった。
 さらには、寝ている時間が長かったせいであろうか、あろうことか、蒼生の母は軽度認知障害も患ってしまった。
 最初は入院中のベッドで大人しく点滴を受けていた。だが、入院してから1ヶ月が経過した頃から、蒼生の母が自分で点滴を抜いてしまったり、看護師が点滴を持って病室に来ると点滴を嫌がって大騒ぎしたりと、看護師から蒼生の父に連絡が入ることが増えた。

 そして、主治医も蒼生の父も恐れていた、蒼生の母の人工透析のリスクも日に日に高まっていった。主治医もなんとか人工透析を回避したいと、さまざまな検査を行い、薬も使ったが、状況は改善せず、むしろ悪化の一方を辿っていた。
 主治医は、蒼生の母が救急搬送された直後から、同じ病院内の腎臓内科医の同僚と、蒼生の母が人工透析を受けずに済むようにと、ことあるごとに相談を重ねた。治療も細心の注意を払って行なっていた。
 しかし、蒼生の母の体の状況はなかなか改善しなかった。
 そしてとうとう、腎臓内科医から
「ここまで腎臓の機能が落ちてしまうと、もう元に戻ることはほぼないと考えられる。人工透析を検討すべきだ」
と主治医は伝えられた。
 
 主治医は、鎮痛な面持ちで蒼生の父に
「奥さんは、これまで非常に頑張ってきました。それは、私たちみんながよく知っています。ですが、以前ご説明したように、奥さんの腎臓がだいぶ弱ってしまいました。奥さんの腎臓は、今の状態から元も状態に戻る見込みは、ほとんどありません。
 むしろ、腎臓の働きが悪くなったことで、奥さんの体の中の血液が、どんどん汚れてしまっていて、近いうち、奥さんの全身の状態が悪くなることが予想されます。
 旦那さん、今の奥さんには、人工透析で体の状態を良くしてあげることが必要だろうと私たちは考えています。旦那さんは、いかが思いますか?」

 蒼生の父は、悩むことなく
「先生、それなら早く人工透析を受けさせてほしい。妻が生きられるなら、俺はなんだってする」
と断言した。
 蒼生の父にとって、妻は替えが効かない、絶対の存在なのだ。妻が長生きすることが、蒼生の父の願いの全てなのだ。妻は、父の全てなのだ。だから判断に迷うことはなかった。

 主治医は蒼生の父の様子を見て、人工透析を行うことを決断した。そして、そのための人工透析用の人工血管を蒼生の母の左腕に作製するために必要な手続きや必要書類を蒼生の父に説明した。蒼生の父は、またも分からないながら説明を聞き漏らすまいとたくさんメモを取り、妻が人工透析を受けるための準備をした。
 人工透析でも何でも良いので、とにかく妻を生きながらえさせてほしい。蒼生の父は、それだけが望みだった。それ以外は何も望まなかった。

 4日後、蒼生の母は人工透析を行うための血管を作る手術を受けた。手術は短時間で済み、成功したものの、蒼生の母の血管がもともと非常に細いことから、主治医も腎臓内科医も透析用の血管が詰まらないことを願っていた。

懸命な母、寄り添う父

 蒼生の母の軽度認知障害は、入院している間はなんとかその進行を食い止められているようだった。相変わらず、点滴を嫌がったり、抜いてしまうことは度々あったが、看護師の話をよく聞いたり、意思が通う会話ができる時間の方が圧倒的に長かった。看護師も、
「まあ、これくらいの認知障害なら、退院するまでは治療は継続できそうだ」
と考えていた。
 
 蒼生の母にとっては何よりも、夫がお見舞いに来て面会することが、最高の治療だった。
 蒼生の母は、夫が見舞いに来たと聞くと途端に笑顔になった。そして、夫の顔を見たいと、自分の病室から病院の玄関近くまで一生懸命に歩いて行くのだった。
 その様子をいつも見ていた看護師たちは、
「蒼生の母は、自分の治療のことや看護されていることがわからなかったり、不安に思っているのだろう。
 でも、夫が来たというだけで表情が一変し、安心して、人が変わったように歩いていく。この夫婦は、本当に硬い絆で結ばれているんだろうな」
と心からそう思った。
 そのことで、病棟の看護師たちの話題は持ちきりだった。

母の退院

 蒼生の母は、軽度認知障害はあるものの、大動脈解離の手術後は順調な回復を見せた。雪の中、救急車で搬送された日から3ヶ月以上が経過していた。
 雪解けが進み、季節は冬から春への移り変わっていて、ニュースでも桜前線が北上していることを告げている中、蒼生の父と主治医は、蒼生の母の退院に向けた話し合いをした。

 主治医は、蒼生の母の現在の状況を蒼生の父に説明した。
「そろそろ退院を考えても良いくらい、奥さんの体調は回復してきました。大動脈解離の手術をした場所も、人工血管と奥さんの血管がうまくつながっているようです。検査結果も全く問題ないですね」

「先生、ありがとうございます。透析の方は、どうですか?」

「奥さんの透析は概ね順調ですが、時々血圧が下がることがあります。当院の腎臓内科医と透析のスタッフが常に奥さんを見ているので問題はないですが、透析の注射はやはり難しいようです。奥さんの血管が細いので、透析の注射をする部分の血管が詰まらないように、注意してみています」

「そうですか、そういう状態のままだと、退院した後、自分の家で妻の面倒を自分が見続けられるか、自信がないですね・・・」

「そうですよね。当院を退院後は、奥さんと旦那さんのご自宅の近くのA病院か、もしくはC病院で透析を続けてもらうことになると思います。透析は続けなければなりませんから。旦那さんのご自宅からだとA病院の方が近いようですが、透析の患者さんはC病院の方が多いので、より安心して透析をお願いできるかもしれません」

「A病院は、周りの患者さんの評判がとにかく悪いので、あそこに妻を連れて行きたくないです。C病院に透析をお願いします」

「A病院って、そんなに評判が悪いんですか?」

「はい、医師は一生懸命やってくれるんですが、多くの看護師やリハビリの技師が患者に対して偉そうな態度で文句を言ったり、優しくない対応をするので、町中が『A病院に受診したくないけど、あそこしか大きい病院がないから行っている』と、みんなが言っています。甥が2人、地元で看護師をやっていますが、A病院は看護師の間の評判も最悪です」

「そうですか、では透析はC病院にお願いしましょう。大動脈解離の手術後の経過観察は、当院でやりましょう」

「お願いします。軽度認知障害の方は、どうなのでしょう?」

「こちらは悪くなっていませんが、残念ながら改善しているわけでもありません。軽度認知障害を完治できる方法がありませんので、とにかく様子を見させてもらうことになりますね」

 蒼生の父は少しがっかりした様子で
「わかりました・・・」
としか言えなかった。

 主治医は蒼生の父に対して、事実を淡々と伝えるにとどめた。過度に期待させることも良くないし、かといってこれからの経過観察でできることも限られている。医学、医療がいくら進歩していても、やはり限界はある。人の命と向き合うとき、医療者は冷酷な現実とも向き合わざるを得ない。
 大ベテランの主治医であっても、治療の選択肢が減っていくほど、患者や家族への今後の方針の説明は難しくなる。患者や家族にとっては、治療の選択肢が減ることは、患者のその後の人生が予断を許さないものになっていくことを意味するからだ。
 だから、この治療の説明の時間は、主治医にとっても、蒼生の父にとっても、辛い時間だった。

 それでも主治医は、蒼生の母の今後の生活のことがあるため、退院後の家の中での生活の中で注意すべき事柄をゆっくり、一つずつ丁寧に説明した。
 蒼生の父は、主治医が説明している内容を、主治医の説明用紙にメモさせてもらいながら、なんとか覚えていった。
 その説明の中で、主治医が、蒼生の父と母の家に、母のために手すりを設置することや、玄関での靴の脱ぎ履きをしやすくするためのスノコを用意すること、歩行リハビリ用のステップを使ってみることなどを提案した。また、手すりを設置するときは介護保険が使えるから、居住地の市役所の窓口で相談すると良いと教えてくれた。
 蒼生の父は、主治医が自分の妻のことを親身に考えてくれていることを、『大変ありがたい』と、心の底から感謝した。

 蒼生の父は、帰宅する途中に、大急ぎで市役所に立ち寄った。そして、介護保険の補助金を申請し、大至急で自宅に手すりを設置してくれる業者数社を教えてもらった。父はその業者に直ちに連絡し、急いで自宅のあちこちに手すりを設置してもらった。
 手すりの工事が終わった翌日、蒼生の母は退院した。
 これからまた、二人の生活が再び始まる・・・。妻の体は具合が悪くなり、弱ってしまったが、二人とも元気だったあの頃のように、お互いに思いやれる、笑いながら同じ時を過ごせる日が・・・。
 蒼生の父は、そう心から信じて疑わなかった。
 ところが、実際にはそう簡単な話ではなかった。

(第五章に続く) 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?