見出し画像

黄エビネが咲く庭で (第十二章 政治家と省庁と民間企業)

第十二章 政治家と省庁と民間企業

 吉田の会社の鈴木が厚生労働省に連絡を取ろうとしていた頃だ。

 厚生労働副大臣の小川は、厚生労働省の厳選した数人と、デジタル庁の濱田とその部下数人、そして財務省と経済産業省との会議を招集していた。
 日本の医療DXを推進するための勉強会を立ち上げるための会議だった。 

 小川は濱田との対話の後、非公式で財務省、デジタル庁とも話し合い、日本の医療DXを促進させる司令塔を構築しつつあった。

 一方、小川の呼びかけに賛同して集まった財務省、経済産業省、デジタル庁も、それぞれに『自らが主導権を取りたい』という意図を持ちながらも、それを他の省庁に悟られないように、慎重な姿勢を崩さなかった。
 将来的には『医療』という名目上、厚生労働省が主導していると国民に見せても良いが、その裏では実利を得ようと財務省や経済産業省、デジタル庁がそれぞれ、なんとかして主導権を確保しようとしていることは明白だった。
 厚生労働省の副大臣の小川も、各省庁の思惑を敏感に感じ取りつつも、ひとまず今の時点では気づかないふりをしておくことがベストだろうと判断し、淡々と勉強会の準備を進めていた。

小川の強力な右腕 松坂

 小川は、厚生労働省からのメンバーに、松坂を加えていた。小川は59歳だが、松坂は小川よりもはるかに若い42歳だった。松坂がこの若さで今回の医療DXの勉強会のメンバーに抜擢されたのには、訳があった。
 小川は、今回の医療DXの勉強会を政府の取り組みにまで発展させ、成功させようと目論んでいた。そのためには、日本の医療制度に精通していて、日本の財政状況も理解していて、医療DXに関連する財務省やデジタル庁とも連携する必要がある。そのためには、厚生労働省の中で、特に医療分野で長く実務を積み、他の省庁との人脈を持つ人材を抜擢しなければならない。
 
 松坂は、この人材要件に完璧に合致する人材だった。
 松坂は、厚生労働省の様々な部署に異動してきたが、その異動先の多くは医療関連部署で、医療に関することならどのような質問にも回答できるベテランキャリア組だ。
 これまで松坂は、診療報酬改定や薬価改定でさまざまなアイディアを出し、日本の国家予算に占める社会保障関係費の増大をなんとか食い止めようと懸命に取り組んできた。それらの仕事で一定の評価を勝ち得、それなりのポジションと待遇を得ていた。

 しかし一方で、松坂は、日本の予算や赤字国債の状況を鑑みると、診療報酬点数や薬価の調整では、日本の国家予算や社会保障関連費の抑制にはもはや限界があることも熟知していた。
 そのため、なんとかしてそれら以外の方法で社会保障関係費、特に医療費と年金の増大を食い止められないかと、厚生労働省内外で松坂は、さまざまなチャレンジをしているのだった。
 最近は財務省、デジタル庁とも頻繁に連絡を取りあっている。
 特に松坂が頼りにしているのは、財務省のキャリアで大学の同級生である新垣だ。

松坂の盟友、新垣

 新垣も松坂と同い年の42歳だ。財務省の生え抜きで、さまざまな部署での実務経験を積んでいる。財務省が各省庁と頻繁に連絡を取り合うため、新垣も業務上、他の省庁とのパイプができていた。特に、新垣自身が各省庁の概算要求を受け付け、次年度の予算編成をする部署所属してからというもの、新垣は各省庁とのやりとりが毎日あるため、各省庁に顔が効くようになっていて、彼らとの折衝もスムーズにこなしていた。

 元々新垣は頭が良く、大学生の頃から友人やサークル内の人間関係、イベント時の調整役としての能力に長けていた。そして、いつもニコニコして人当たりが良い。そのため、財務省内でも新垣に対する評価は高く、今後も大いに期待されている。そこには、新垣が『信頼できる人や親友には義理堅い』という性格も、新垣の評価を高めている一因があるだろう。

 厚生労働省の副大臣の小川と、財務大臣の楠木は、厚生労働省の松坂と財務省の新垣が大学の同級生であり、現在も仕事で緊密に連携しながらそれぞれの仕事に励んでいることを知っていた。
 そして、この二人が組むことで、厚生労働省と財務省がこれまで以上にスムーズに連携できるようになることを期待していた。さらには、これを機に、将来は日本の医療DXを推し進めること、その手柄を小川と楠木のものとすることも目論んでいた。

デジタル庁に出向している民間企業の暗躍

 その頃デジタル庁では、長官の濱田を中心に、医療DXの勉強会に参加するスタッフの人選に手間取っていた。
 デジタル庁では、人事院の官民人事交流制度に基づいて、国と民間企業との間の人事交流を目的に、民間企業から交流採用で集まった人材が多かった。
 そのため、濱田の取り巻きにも民間企業からやってきたスタッフが多かった。
 その彼らが医療DXの勉強会の話を耳にしたところ
「(医療DXの取り組みがスタートしたら、ぜひ自社も関与したい)」
という下心を持つようになっていた。このことによって、勉強会への参加者枠の取り合いが起こっていた。
 
 もちろんこのような受発注が行われれば、デジタル庁と派遣元の民間企業の間における不正取引等のコンプライアンス違反となる。そのようなことを防ぐために、人事院も『交流元企業の業務に従事することや交流元企業に対する許認可等の業務を行う官職に就くことの禁止』を明記している。

 一方、日本政府やデジタル庁では、日本の産業振興や経済の活性化などの一環として、スタートアップ企業への支援にも力を入れている。デジタル庁の実際の取引は、取引しているスタートアップ企業数、および取引金額ともに急激に増加している。
 このような活発な取引状況を踏まえれば、民間企業から見れば、デジタル庁と付き合っていくことで、何らかのビジネスチャンスを得ることができると考えるのは自然なことだ。

 この頃、デジタル庁に、民間IT企業から井出という男が出向していた。
 井出の出向元のIT企業は、社会保険庁のデータと管理、分析するシステムの開発・保守点検・運用をしている。井出は、この出向元のシニア・マネージャーだった。
  井出自身は非常に仕事ができる優秀な官吏タイプだったから、デジタル庁の幹部層からの覚えもめでたく、重宝がられていた。
 そこに井出の人たらしの才能が相まって、幹部層とのランチや飲み会などで、井出に誘いがかかることも多かった。もちろん井出はそれらの誘いを全て受け入れていた。

 デジタル庁内で民間企業同士による医療DX勉強会の参加者枠の取り合いになっている中、デジタル庁長官の濱田は、自らの権限で、井出を医療DX勉強会のメンバーの一人に選んだ。濱田は
「井出なら、いろんなことができそうだし、知っているから、何かと役に立つだろう」
と、あまり深く考えずに井出をメンバーに加えた。

  本来であれば、新たなプロジェクトを立ち上げ、そのメンバーを選ぶときには、まず、そのプロジェクトの目的を鑑み、そのプロジェクトのメンバーに必要な要件(スキル、知識、実務経験の有無 など)を定め、それに合致する人材を選択するのが定石だ。

 しかし、長年国会議員を務めていて、民間企業のプロジェクトのマネジメント経験がない濱田にそれを求めるのは、無理というものだった。

 一方、井出は心の中で
「(これは面白い。この医療DX勉強会は、面白いことになりそうだ。将来的には、日本政府などとの協業など、ビジネスが成長していきそうだ。)」
と、密かに野心を燃やしていた。

 そして、井出は現職の部下である崎本も医療DX勉強会のメンバーに加えるよう濱田に進言した。
 崎本は、26歳の女性だ。彼女も民間企業からデジタル庁に交流採用で入ってきた。元々の勤務先はDXを推進する外資系ITコンサルティング企業だ。
 井出が所属している企業「エスタブリッシュシステムズ」は純日本のIT企業だったから、崎本は競合相手でもある。しかし、崎本は非常に優秀で、同僚や同期からの信頼も厚かった。
 崎本は、困っている人を見かけると放って置けない。これは崎本の父親の性格譲りだ。崎本の父親も部下や同僚に気配りをして、困っている部下のためにさまざまな関わり方で部下をサポートしている。
 そのような姿を見てきた崎本にとって、他の人をサポートすることは当たり前のことという認識だった。

 このような崎本の人柄や能力、仕事のスキルなどを目の当たりにした井出は心の中で、
「(崎本をうまく使えば、自分の手柄も増えそうだ)」
とほくそ笑んでいた。
 だから井出は、崎本を医療DX勉強会における自分のサポートメンバーとして濱田長官に推薦したのだった。

民間企業からの医療DX勉強会のメンバーの選抜

 厚生労働省、財務省、経済産業省、デジタル庁にとって、共同で立ち上げる医療DX勉強会には、将来の医療DXの制度化や事業化などを考慮すると、民間企業からのさまざまな情報やアドバイスを得ることは必須だった。
 しかし、日本のIT業界には、大企業からスタートアップまで含めると約43,000社以上あると言われている。それらが鎬を削ったり、吸収合併があったり、新たなスタートアップが生まれたりと、日本のIT業界は非常に活発な業界だ。

 それらの中から、どの企業が医療DX勉強会に最適なのかを選ぶのは、非常に難しかった。
 43,000社の中で、日本政府の医療費抑制策を理解していて、医療に精通していて、DXも理解していて、確かな技術力もあり、システムやサービスを確実に開発でき、セキュリティー対策を含めた保守運用も任せられ、費用もリーズナブルで、日本政府からの相談事にきめ細やかに対応してくれるIT企業など、本当にあるのだろうか?
 医療DX勉強会の省庁側の不安は、至極真っ当な不安だった。

 省庁側のディスカッションでは、外資系の戦略系大手コンサルティング企業や、IT系大手コンサルティング企業に参加してもらうという案もあった。

 確かに彼らにプロジェクトを委ねれば、手離れが良く省庁側の負担は楽になるだろう。彼らの企業の中には医療の専門チームもあると聞く。だが、医療の専門チームであっても、医療者ではない。医療の現場の課題を知るには、やはり、医療者に医療DX勉強会に参加してもらう必要がある。

 さらに、医療の現場の困りごとは、日本の大都市圏と地方では大きく異なる。極端に言えば、それぞれの地域ごとに異なる困り事が存在している。一括りに地方といっても、地方ごとに医療機関の数や人口、高齢化率、可処分所得などが細かく異なる。
 それらの違いを踏まえつつ、その地域ごとの困り事を解決するために、日本全国を対象に、一つも取りこぼすことなく取り組みを推し進める必要が出てくる。

 そう考えると、大手戦略系コンサルティング企業などに、医療DX勉強会に参加してもらう必要がどこまであるのか?が省庁側には分かりかねた。
 将来的に医療DX勉強会からなんらかのアイディアが生まれ、事業化した時、大手戦略系コンサルティング企業などに発注できるほど予算がつくかどうかも不透明だ。

 これから先どうなるのかがまだまだ分からないまま、省庁が考えている医療DX勉強会の立ち上げに参加してくれそうな民間企業があるのだろうか?
 少しの不安と、増大し続ける日本の医療費への危機感を感じながら、松坂、新垣、井出、崎本らを中心に、医療DX勉強会の省庁側のスタッフは、まずIT業界およびIT企業の情報収集から着手した。

玉石混交のIT業界

 日本のIT業界全体を見渡すと、大手IT企業だとそれなりに安心感はある。一方、彼らは海外のIT企業に比べて若干スピード感が遅いようにも感じられた。
 あまりに規模が小さいIT企業だと、特定のサービスに特化していて、医療全体のDXという話になると対応できるのかが不安になった。
 
 『医療』と『IT』というキーワードでネット検索をすると、電子カルテメーカーが多くヒットする。
 しかし、今、電子カルテメーカーに医療DXについて問い合わせたところで、医療の質をデータから分析しようとした時、それができない原因を作った(各社が独自のデータベースを作成したためデータベースが乱立してしまい、データ分析が困難になった)彼らが、医療DX勉強会の中で生産的な発想と発言と取り組みをしてくれるとは考えにくい。

 彼らも営利企業だ。
 自社に有利になる発言が多くなることが容易に予想される。
 一体どうやって医療DX勉強会に最適な民間のIT企業を探せばいいのか・・・?
 日本のIT企業は43,000社以上もある・・・。
 日本経済団体連合会(経団連)に問い合わせて、デジタルトランスフォーメーション会議のメンバーを紹介してもらったが、彼らが本当に日本の医療の質の向上に力を貸してくれるのか、未知数だ・・・。

 医療とIT企業で情報収集を開始して間もなく、松坂らの取り組みは暗中模索の状況に陥った。

 そのような時、松坂のスマートフォンのメールの着信音が鳴った。
 松坂の高校の同級生で、吉田の会社の鈴木からのメールだった。

(第十三章に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?