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黄エビネが咲く庭で

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このマガジンは、医療の小説です。 医療・製薬・ITなどのビジネスを手掛けてきた私、武知志英が、日本の医療の質を高め、日本に住む人たちが安心して生きていけるようにする処方箋を、実際…
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2024年1月の記事一覧

黄エビネが咲く庭で (第八章 吉田と蒼生の共同戦線)

黄エビネが咲く庭で (第八章 吉田と蒼生の共同戦線)

第八章 同志となった吉田と蒼生

中高年のぼやきは、ビジネスの種?

 蒼生は母の葬儀から戻り、また仕事の日々が再開した。

 その頃、蒼生の勤務先であるインフィニティヴァリューの社長の吉田は、社内に新たなプロジェクトの立ち上げを宣言し、そのメンバーの募集を告げた。
 新たなプロジェクトは、医療のビッグデータを扱う新規サービスの開発から顧客の創出、そしてそれらを近い将来吉田の会社の事業の柱の一つに

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黄エビネが咲く庭で (第七章 末期の水、後悔の念)

黄エビネが咲く庭で (第七章 末期の水、後悔の念)

第七章 末期の水、後悔の念

 蒼生は母の死を父から聞いてから急いで実家に戻ったものの、到着したのは母の納棺が終わった後だった。
 蒼生は、自身の仕事の引き継ぎや客とのスケジュールの調整などに手間取ってしまった。
 なんとか都内の職場から自宅に一旦帰り、礼服や香典などの葬儀の用意を整え、着替えをたずさえ、新幹線に飛び乗って移動したが、実家に着くまでに半日近く時間を要した。
 
 棺の中の母は、テレ

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黄エビネが咲く庭で (第六章 スマートフォン越しの母子)

黄エビネが咲く庭で (第六章 スマートフォン越しの母子)

第六章 スマートフォン越しの母子

 蒼生が母とスマートフォンのアプリ越しに顔を見ることができたのは、その頃のことだった。
 蒼生の父は高齢であることを理由に、携帯電話はガラケーだった。だが、蒼生の母はスマートフォンを使っていて、それにカメラで対面で話せるアプリを入れていた。
 蒼生は父に頼んで、母の病室に入った時にスマートフォンのアプリでテレビ通話できるようにしてもらった。
 蒼生の父は、自分が

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黄エビネが咲く庭で (第五章 父と母のひとときの儚い幸せ)

黄エビネが咲く庭で (第五章 父と母のひとときの儚い幸せ)

第五章 父と母のひとときの儚い幸せ

 退院後、蒼生の母の開口一番は
「ああ、やっぱり家はゆっくりできる」
だった。
 蒼生の父は、自宅で妻と他愛の無いこんな話ができることを心から喜んでいた。
 いつものように妻が作るご飯を食べ、妻と一緒に庭に咲くさまざまな花の手入れをし、休みの日には時折遠出をして、年に1回くらい県外に旅行に出掛けて・・・。
 そんな日がまた戻ってくると、蒼生の父は信じて疑わなか

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黄エビネが咲く庭で (第四章 母のリハビリ、父のお見舞い)

黄エビネが咲く庭で (第四章 母のリハビリ、父のお見舞い)

第四章 母のリハビリ、父のお見舞い

 その日から、蒼生の父は毎日、妻が入院している病院にお見舞いに行った。
 連日、車で往復130km以上の距離を、妻の着替えや入院に必要な書類などを携え、自分で軽自動車を運転した。愛する妻に会うために、蒼生の父はハンドルを握った。
 大雪が降る日は、交通渋滞やノロノロ運転の中、片道2時間以上かかることもあった。それでも蒼生の父は、妻のお見舞いに行った。
 何があ

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黄エビネが咲く庭で (第三章 蒼生の母の病、夫婦の愛)

黄エビネが咲く庭で (第三章 蒼生の母の病、夫婦の愛)

第三章 蒼生の母の病、夫婦の愛

 蒼生の両親は、東北の雪深いある地方に住んでいた。
 蒼生の母は、膠原病という難病を20年以上患っていた。蒼生の母は、膠原病によって腎臓が痛んで、高血圧になっていた。そのため、血圧を下げる薬と、血液をサラサラにする薬と、膠原病の炎症を抑える薬を服用し続けていた。
 主治医の治療のおかげで、治療開始後まもなく血圧は順調に低下した。だが、膠原病による腎臓の炎症だけがい

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黄エビネが咲く庭で (第二章 日本のIT業界の革命児 吉田)

黄エビネが咲く庭で (第二章 日本のIT業界の革命児 吉田)

第二章 日本のIT業界の革命児 吉田

 蒼生と吉田の二人の飲み会から、数年ほど時間を遡る。

 吉田は、日本のITの世界では名が知られている存在だ。
 吉田は日本でのIT業界の先駆者であり、今でも最先端の生成AIや機械学習、ビッグデータの解析プラットフォームの開発、そしてそこに関する新しいサービスの開発にも自ら陣頭指揮を取っている。
 テレビやビジネス雑誌にも頻繁に登場し、取材を受け、最新のAI

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