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【ビジネスエッセイ】「仕事」はつくるもの、「作業」はこなすもの

「仕事と作業をはき違えるな」


20年以上前に、会社の何かの講話で聞いた言葉。
当時はまだITという言葉はなくて、情報処理やらマルチメディアやら、コンピュータを活用した「仕事の生産性向上」が、声高に叫ばれていた時代だった。

1990年代の後期は、企業がインターネットの活用を取り組み出した頃で、ほとんどの企業はホームページもなければ、電子メールもない。
通信キャリアだった僕の仕事は、お客様企業にインターネットの独自ドメインをとって、ホームページや電子メールの活用、サーバーやクライアントPCなどの設備環境を、提案・構築することがメインだった。

──代表電話番号にコールして、担当者に電話を取り次いでもらう。訪問のアポイントを取って、社用車で移動して面会する。
電話もお客様からかかってきた時には、手短に用件のみを話す。通話料の度数があがって料金が上がらないようにする。


訪問する時には、紙の資料やパンフレットなどを沢山カバンに詰め込んで、商談は会話がメインで、必要なタイミングで資料のポイントになる所を出して説明する。
見積書、注文書、注文請書、契約書、検収、請求書なども紙ベースが当たり前だった。


──その当時の「仕事」とは?
お客様のリアルな面会時間をどれだけとっていただけるか、が大切なこと。
そのための準備となる資料作成やアポイントなどのスケジュール調整は「作業」だ。

リアル面会で、お客様に自分を売り込んで信頼関係をつくり、それを維持していく。
その中でいろいろなサービスが〝もの〟という形で売れてゆく。



──20年経った今はどうだろう。

20年以上経ち、いまの僕の仕事は、新事業開発という未来の事業の土台となるブランドや仕組みを作ることになった。
地球温暖化に伴う異常気象を引き起こす環境問題に向き合っている。

売るものはない。

ドッグイヤーやマウスイヤーなど俗語で言われた時代を経て、ムーアの法則通りに指数関数的にITサービスの進化と普及は進んだ。

社内外の人と人とのコミュニケーションは、Web会議越しのオンラインがほとんど、電子メールは少しレガシーな感じになり、手短なやり取りはビジネスチャットに置き換わる。
電話をコールすることも、相手の忙しい状況を配慮して、なるべくかけなかったり、取れなかったり、繋がらなかったり、取れなかったり……
いつの間にか、音声通話(電話)の利用頻度は激減したように感じる。

たまに外出や出張などして、リアルに面会することの希少価値があがったことも事実。その分、ミーティングのアジェンダが分刻みになって、雑談や脱線の余裕もなくなり、リアル面会もフォーマルな機械的なやり取りが多くなってきている気がする。昔のような時間のゆとりや余白がどんどんなくなってきている。

いまの時代の「仕事」ってなんだろう。


──ITサービスは、ほとんどがクラウド化されて、Webでアカウント登録さえすればすぐに利用できるサブスクがほとんど。それを活用したり、チームで運用するノウハウがビジネスとなる。
コンピュータからすると効率化でも、一定のラインを超えると、人間にとっては逆に不効率になっている感覚もよく感じる。


いま僕がやっている「仕事」の本質はなんだろう。
新しいブランドや事業を立ち上げる「仕事」は、その業界で既に活動されている方や事業者の仲間に入れてもらうことからはじまる。
営業とよく似ているのはパートナーシップづくり。
信頼関係を土台にした人脈と、それを維持しながら、社会貢献に繋がる新しい〝仕組み〟づくりがメインのミッションになる。

新しいことをはじめる上では、共感する人たちの気持ち、エンゲージメントを高めていかないと、前に進まない。
そのためには、ビジョンやストーリー、チームの情熱が原動力になる。


──いまの時代の「作業」はなんだろう。
以前は時間のかかった事務処理も、全くないわけはないけれど、ITサービスの一般化によって効率化された。定例会などへの報告書作成などもフォーマットのコピべや、写真や動画など、伝わりやすいものに進化している。
この手の「作業」は、コンピュータが得意な分野だ。
AIも一般化して、過去の人間の作業パターンは、構造化データとなって、プロトコルの上でアルゴリズムになってゆく。

昔は文句を言いながら残業してデスクワークをしていたことが懐かしくなる。


仕事はつくるもの、作業はこなすもの

時代によって変わる「仕事」の質や量や価値観。
それによって求められるスキルも変わる。
ITと人間が共存して社会活動をすることが、これからのスタンダードなのだとすると、そろそろ作業は全てITに任せたりする分業制にも限界を感じている。
問題や課題、目標に向かって、体や脳を働かせて、失敗したり、工夫したり、ある程度の作業という経験から学んだり、達成感があったり。
作業がまったくなくなったら?
問題を読む前に、答えを教えてしまうようなもので、そのプロセスで得られるものが欠落する。

人間は適度な作業が必要なんだと思う。

環境について新規事業を考えるとき。
会議室で論理思考バリバリに議論を重ねても、得られる答えは、作業なしの薄っぺらい仕事になるように感じる。

──自然との関わり。
答えはなくて、持続可能な取り組み、そのプロセスや活動自体に向き合うマインドが重要なことのように思う。
コンピュータからすると”効率的ではない”と判断される作業の中にしか、感じたり学ぶものはないのかもしれない。


仕事はつくるもの、なんだとすると、
少し前の生活や考え方を、自然との共生を土台にしてアップデートし、あらためて人間らしい”作業”をつくりだすことが、僕の今の仕事なのかもしれない。



©️Mahalopine


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