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日本文化からみる『すずめの戸締まり』

先日、新海誠監督作品『すずめの戸締まり』を見てきた。
新海監督の作品を『言の葉の庭』から知った私は、映画の中に散りばめられる日本古来の文化や文学の要素が好きだ。
今回、ストーリーの大筋に関する考察は各所でなされているので、私は日本文化の面から『すずめの戸締まり』を見直してみたいと思う。

始めからネタバレを踏むので、未視聴の方は劇場でご覧になってから読まれるのをおすすめする。

地震を引き起こす「ミミズ」

物語の重要な鍵を握る「ミミズ」について、なぜミミズ?と思った方は多いのではないだろうか。私もそのうちの1人だ。というのも、地震と言われて私が連想するのは「ナマズ」だったからだ。
なぜ私がナマズを連想したかはさておいて(これを追い出すと記事が終わらないのだ)、日本の神話をたどってみたところ、やはり地震とナマズには神話的関係があるようだ。

茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮では、地震ナマズを押さえるという要石が残っている。

言い伝えでは、鹿島神宮と香取神宮が祀るタケミガツチとフツヌシという神が要石を置き、地震を鎮めたとされている。そしてこの神社に残っている要石、さぞ大きなものかと思えば、地上にほんの少し出ただけの小さなもので、「あの小ささがかえって奥に大きな存在がいることを想像させる」のだ。(1)

本編に出てくる要石、「ダイジン」も鈴芽が引き抜くまで見えていたのは頭部と思われるほんの一部だった。この杭のような形状は、鹿島神宮に残る要石がモチーフになっているのではないだろうか。


地震を鎮めるダイジンたち

さきほど紹介した神話では二柱の神が要石でナマズを鎮めたとされていた。
作中でも、鈴芽と旅を共にする「ダイジン」こと右大臣と、物語後半で抜けてしまい現世に現れる左大臣とがいる。
そもそも左大臣と右大臣とはなんなのか?ひな祭りで飾る人形から紐解いていきたいと思う。
七段飾りから見ることができる四段目の人形が「左大臣」と「右大臣」だが、彼らの正式な役職名は随臣(随身とも書く)である。随身とは、上皇や関白といった高貴な身分の人が外出する際に身辺警固にあたった武官のことをいう。(2)
左大臣は知を司る老大臣で、黒の衣を纏うことが多い。一方右大臣は力を司る若者で、白粉を塗った顔が印象的だ。(3)
この随身たちが「ダイジン」たちのモチーフではないかと考える。また、神話において二柱の神が要石を置いたことから、左右の大臣をおき、その頭と尾を鎮める必要があることからナマズではなくミミズが地震のモチーフに選ばれたのではないかと考える。


神聖視されてきた「スズメ」

さきほど随身が仕えるのは貴人であると述べたが、ではダイジンたちが仕えた鈴芽は一体何がモチーフなのか、ということを考えてみた。
私は「鈴芽=雀」とまぁ大体の人が考えるであろうモチーフから調べてみた。
すると、雀宮神社という神社が栃木県宇都宮市と山梨県東山梨郡勝沼町に存在することがわかった。今回は栃木県の雀宮について挙げると、昔話「とろかし草」の話を踏襲しており、ある男が雀に救われたことから雀大明神として祀ったという。(4)
鈴芽は神のモチーフだったのか...。だとすればダイジンたちの護衛も納得(勝手に)。

(追記: 鈴芽が雀なのは、「すずめの涙」の楽曲からも分かるのだけれど、そうすると「ほんの些細なこと、とても小さいもの」である雀の涙が、しかしとてもとても大事なのだと、そういうメッセージなのかな。
また、仕える、という意味ではミミズに仕えてその役目を全うするとも捉えられるため、ミミズ自体を神聖なものとする見方もある。というかこちらの方が有力そうだ。)


後戸が開くとき


では、ミミズがでてくるとされる後戸とは一体何なのだろうか?世界大百科事典によると、


仏堂の背後の入口のこと。この入口は本尊の背後にあることから宗教的な意味をもち,後戸を入った正面に本尊の護法神やより根源的な神仏を安置する。例えば東大寺法華堂の執金剛神,二月堂の小観音(こかんのん),常行堂の摩多羅神(まだらしん)などがその典型。法会儀礼のなかで後戸の神をまつる呪法は芸能化し〈後戸の猿楽〉という呼称が示すように中世芸能誕生の舞台となった。能楽の翁を後戸の神(宿神・守宮神)といい修正会(しゆしようえ)などの延年に登場するが,古来,修正会に後戸から鬼が出現するのもまた普遍的であり,ともに後戸の宗教性を象徴している。
木下密運. 世界大百科事典. 平凡社. 2007, 782p

要するに仏様の後ろにある扉のことで、創作物ではしばしば後戸からは鬼(禍の象徴)が出てくるという。仏様の後ろにある扉ならばあの世に続いているのも納得だ。

おわりに


これまで思いつくままに、『すずめの戸締まり』に出てくるキーワードについてあれこれ関連のありそうなことを調べてきたが、締めくくりは私自身の想像を添えたいと思う。
ダイジンたちは、左大臣が大人で、右大臣が子どもを表しているのではないだろうか。かつてただいまを言えなかったすべての大人の、すべての子どもの、記憶が、思い出が、地震を止めることはできなくとも、二次災害は防げると、監督は願っているのではないかと思う。


余談だが、ストーリーに関する考察はこちらがおすすめなのでリンクを添付しておく。

参考文献:
(1)石倉敏明. 野生めぐり. 淡交社. 2015, 255p
(2)笹山晴生. 国史大辞典 8. 吉川弘文館. 1987, 970p
(3) https://www.tougyoku.com/hina-ningyou/column/hina-kazari/udaijin-sadaijin/
(4)山本節. 日本の神仏の辞典. 大修館書店. 2001, 1364p

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