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家族である、ということは

「病院にいるとどんなに病状が悪化しても安心だ」と思いながらスタートした入院生活も3日目になると、「早く帰りたい」が先行する。

2日ほど家で寝込んでいたものの、病院で処方された薬を飲んでも熱が下がるどころかさらに上がり続け、ひとりでこのまま苦しむのか…と悩んだ末に再び病院へ駆け込んだのだ。その結果、入院することになった。

点滴の針は3日前から同じところに刺さっていて、刺されているあたりの皮膚が少し赤くなってしまった。

熱が4日ぶりに、一時的にだけれども、36度台に戻った。昨晩まで38〜39度台の熱にうなされていたのが嘘のように身体が楽になる。普段、風邪を引いてもあまり熱が上がらない私にとって、高熱が続くのは異常事態だった。

入院した日の夜、長崎から母が、東京から夫が駆けつけてくれた。ずっと一人で寝込んでいたせいか、夫の顔を見た瞬間涙がこぼれた。

この二日は、二人とも面会時間いっぱい、そばにいてくれた。健康な人にとって入院患者の面会なんて退屈極まりないと思う。

病院にいてもなにかできるわけじゃない。ただ横になっている私と少し話をしたり、たまに寝ている私を眺めるしかできない。

それでも、ずっとそばで「ちゃんと休むんだよ」「少しよくなって良かったね」と声をかけながら、面会時間が終わる頃、名残惜しそうに帰っていく。

ありがたいな、と思う。

家族という存在が。
なんの見返りもなしに想ってもらえることが。

当たり前に過ごしていた日常を失ってみて、ようやく気付く。

誰かと笑って過ごすランチタイムや、大好きな人と一緒に眠ったりする夜は、当たり前じゃないんだと。

そして家族という存在のあり方を。

見返りなしに、ただ心配だからというだけの理由で距離を超えて会いに行き、自分の持つ時間を惜しみなく相手のために割くことができる。

そういうものなのかな、と。

そうだとしたら、とても心強いな。家族であるということは、自分も相手も強くしてくれるのかもしれないな。

いつも心配をかけてばかりで、いつまでも子供みたいな私も、いつか心配して駆けつける側になることがあるんだろうか…と、微熱が残る頭でぼんやり考える夜。

いまはまだ、もう少し休まなくては。


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