見出し画像

ご近所付き合いのススメ

令和初日の今日、京都はあいにくのお天気で、少し肌寒いスタートを切った。

そんな中、今日はとても心温まる出来事があったのでお話ししようと思う。


「ご近所さん」のいなかった12年間

実家を出て一人暮らしをするようになって12年、ご近所付き合いとは無縁な生活を送っていた。

最初に住んでいた社員寮では寮内の付き合いこそあったものの、近所の家に住む方との交流は皆無だったし、アパートで一人暮らしをするようになってからは同じ建物にどんな人が住んでいるのかさえ知らなかった。

防犯のことを考えて「女性の一人暮らしの場合は近所への引越し挨拶をしない」ということも言われているし、この状態は当然のことだった。

台風がきても地震が起こっても、部屋を飛び出し近所の人と言葉を交わすことさえないその生活は、プライベートを守られているのだけど、どことなく寂しい気持ちが拭えなかった。


わずらわしいと思った実家の近所付き合い

実家を出るまでは、当然のように近所付き合いがあった。学校からの帰りにはご近所さんに会うたび挨拶をしていたし、町内清掃や回覧板を届ける時に顔を合わせることも多かった。

だけど、「もう高校生になったと?」と私の成長を我が子のように喜んでくれるご近所さんが、徐々にわずらわしくなっていたのも事実だ。

誰も見張っているつもりなんてなかっただろうけど、思春期の私にとっては監視人以外の何者でもなかった。

私の一挙一動を見られているような気がしたし、周囲から見られていた私の情報は下手をすると母親に筒抜けだった。

一人暮らしを始めた頃、近所付き合いがなくなったことで解放されたような気がした。


再びご近所さんができた

そんな一人暮らしも、終わりを迎えた。

私は結婚し、夫と共に一軒家に住むこととなった。借家とはいえ、一軒家なので近所付き合いが始まる。

久しぶりのそれは、少しだけ怖かった。どう接したらいいのか、子供の頃の記憶はとうに消えてわからなくなっていた。

引っ越してすぐに挨拶へ回ったものの、それ以降は顔を合わせたときに挨拶をする程度。それ以上の会話は生まれなかったし、私もそそくさと家に入ってしまうので向こうも話しかけづらいだろうなと思う。

そんな今日、玄関先に植えてある樹木の剪定をすることにした。

夫も私も、植木の剪定なんてしたことがない。ホームセンターで手に入れたばかりの高枝切りばさみを、慣れない手つきで扱い、なんの計画もなくただただ切っていく。

引っ越して以来まったく手入れをしていなかった植木は、ぼうぼうに枝葉が伸びて、どこから手をつけていいのやら見当がつかない。

「とにかく切るしかない」と四苦八苦しながら剪定していたところ、お隣さんが帰ってきた。

隣の家にかかるように伸びてしまった植木に、申し訳なさを感じていた私たちだったが、その方はそばで私たちを見守りつつ、「ここをもう少し切ったほうがいい」「うちの庭に落ちた枝は拾うから気にしなくていい」と声をかけてくれた。

そのうちに反対隣の家の方が出てきて、剪定の様子を見にきてくれた。「剪定するのが好きでね」と話すその方は、なんとマイ剪定ばさみを持ってきて手伝ってくれることに。

驚くほどのスピードで美しく剪定されていくその様子を、もはや傍観者のごとく「おおー!!」「すごいー!!」と声をあげる私たち。

あっという間に剪定は終わり、後片付けまで手伝ってもらった。感謝の気持ちを述べて、私たちは家に入った。


令和の時代はもっと温度のある人間関係を

これまで面倒に思えることは極力避けてきた。近所付き合いもそうだった。

でも今日、ご近所さんたちと交流し、力を借り、私たちの知らないことをたくさん教えてもらった。

もっと早くから積極的にコミュニケーションをとっていれば、今頃はもっと近しい関係になっていたかもしれない。

ご近所さんとの交流が減り、人間関係が薄くなっていく今だからこそ、もう一度、人間関係の持ち方を見直してもいいんじゃないかと思う。

「令和だから」というとこじつけのようだけれど、もっとあたたかくて温度の感じられる人付き合いをしていければな、と思った令和初日なのだった。


ユキガオ

サポートで支援していただいたお金は、ユキガオの活動費に充ててさせて頂きますm(_ _)m