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“自分らしさ”を存分に楽しめる「役割」とは?〜印象とキャリアと3の魔法〜

社会の中では、ずっと気を張っているようで
心休まる時なんてなさそう…かもしれません。
だからこそ、心身ともに素の自分に戻れる時間が必要不可欠。

今日は、キャリアの理論からみた
“自分らしさ”を楽しむ「役割」についてのお話です。

*もちろん、いくら“自分らしい”といっても、
 人間として、すべきではないことはありますし、
 故意にそういうことをするのは、私はおすすめしてません。


素の自分に戻る「役割」があったっていいんじゃない?

昨日の記事では、
「表現」を選ぶ、というお話をしました。


これって、裏を返すと、

「表現」されない自分がいるということで、
これを、
「我慢」と感じる場合もあります。

もしかすると、

ずっと気が張っているみたいで、
心休まる時なんてなさそうな感じがするかもしれません。


もし、そうであるなら、

自分を休めなきゃいけません。
“自分らしさ”を存分に楽しめる時間が必要です。

疲れちゃいますから、
心身にとってはよくありません。


ですから、

「余暇」を楽しみましょう。

これも立派な「役割」ですから。


実は、

果たすべき「役割」としての「余暇」という考え方が、
キャリア理論の中に実際にあります。

興味深いですね。



キャリア理論にみる「役割」としての「余暇」

キャリア、というと、多くの方は、
仕事の経歴や、出世のようなイメージをされると思いますが、

私たちキャリアコンサルタントがご提供する
キャリアコンサルティングにおける「キャリア」は、
もっと広く、人生全体や生き方そのもののことを指します。

このキャリア、つまり、仕事と人生・生き方については、
国内外様々な理論があるのですが、

その中に、
ドナルド・E・スーパーの「ライフキャリア・レインボー」
という概念があります。

ざっくり言うと、

人が一生涯に担う「役割」をその年代ごとにあらわした
文字どおり「虹」のような形をした概念図
があり、
人生とは、年代ごとの発達と果たすべき役割、
それを演じる“舞台(家庭や職場など)”などが総合的に関与して、
自分らしい生き方を模索していくというものです。

スーパーは「役割」は少なくとも6種類あるとおっしゃっており、
その「役割」は以下のようなものが挙げられています。

・子ども
・学生
・余暇人
・市民
・労働者
・家庭人
・その他さまざまな役割
(「新版 キャリアの心理学 第2版」渡辺三枝子編著、ナカニシヤ出版、2018年)


…お気づきになりましたか?

・余暇人

「余暇を楽しむ人」という「役割」です。


ドナルド・E・スーパーは1910年から1994年を生きた方で、
こんなことをおっしゃっていたそうです。

「出版物で自己概念の理論家として紹介されているのは一般的には理解できないわけではないが、自分は、自己概念の理論家と異なり、自己概念と、自己を取り巻くとともに客観的な状況的(社会的・経済的)諸事象の関係を視野に入れて個人の生涯発達を理解しようとしているのである」
(「新版 キャリアの心理学 第2版」渡辺三枝子編著、ナカニシヤ出版、2018年)

自己概念とは、ざっくりいうと
自分で自分を「私はこういう人物だ」と考えている姿のこと。

個人の生涯的発達を理解しようとしていた実践家が、
「余暇を楽しむ人」を「役割」として捉えている点は、
とても興味深いことです。


他にも、サニー・ハンセン博士も
「統合的人生設計」という概念の中で、
「余暇」を「役割」として挙げています。


キャリアにおける「余暇」という「役割」については、
どう定義し、どう研究するか、今も議論が続いているようですし、

ここでその議論をするつもりはないのですが、

それだけ、
「余暇」は注目するに値する、ということは
言えるんじゃないんでしょうか。



“自分らしい”人生のために「余暇」が不可欠と考える理由

余暇、皆さんは何をしていますか?

日頃の疲れをとるためによく眠る
気のおけない友人との時間を楽しむ
一人静かに読書をする
スポーツで汗を流す
趣味の手芸にひたすら集中する

などなど…

素の自分で自由に過ごせる時間と言った方が、
しっくりくるかもしれません。

心も体もリフレッシュしたように感じますね。


私は、この時間を、

人生の「役割」として大切にして欲しいと思っています。


ワークライフバランスとか、家族サービスとか、
そういう意味ではなく、

“自分らしい”人生を送るという意味で、
「素の自分に戻れる心地よい時間」が必要と考えるからです。


「素の自分に戻れる心地よい時間」がないというのは、
言い換えれば、

すべてを「義務感」から行なっているような状態です。

これでは、

義務を果たすことと、
万が一義務を果たせなかった時の不安や恐怖を避けること
行動のメインになってしまいます。

これは、

「3つの視点」の、「特定の誰か」「それ以外」ばかりに
目がいってしまうと、起こりがちです。


義務や周りの評価だけに合わせるだけの人生…

私は、ちょっと寂しい気がします。

「3つの視点」のバランス、とても大事です。


「素の自分に戻れる心地よい時間」

「自分」「特定の誰か」「それ以外」の「3つの視点」を意識する
社会の中にあるからこそ、

「自分」を優先できる貴重な時間として、
試しに、
「余暇を楽しむ人」になってみるのはいかがでしょう?

時間ができても何をしていいか分からない、と感じるなら、

自分は何が心地よくて、何に幸せを感じてきたのかを
思い出す時間にするのも良いかもしれません。


*繰り返しになりますが、
 いくら「自分」優先とはいえ、
 人としての倫理は守りましょうね。


─── 今日のまとめ ───

□ “自分らしさ”の「表現」を選ぶことは
 気が張る「我慢」と感じるかもしれない。
 だからこそ、休めなければならない。

□ キャリア理論の中には、なんと、
 「余暇」を果たすべき「役割」としている
 概念が存在する。

□ 「特定の誰か」「それ以外」ばかりを気にして
 自分を見失わないこと。
 「自分」を優先できる貴重な時間として、
 試しに「余暇を楽しむ人」になってみよう。

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