すれ違いの米中関係 その3

中国共産党、民主主義を学ぶ
同じ民主主義国でも、日本とアメリカでは大きくその運用方法が異なり、互いの理解を妨げます。それよりも大きな乖離が米中間にあるわけで、ニクソン大統領の訪中以降、中国は民主政治について、様々学習・体験中です。

1つ目の洗礼は、台湾関係法成立です。中国政府は、カーター政権に日本同様、中国との国交樹立・台湾との外交断絶を求めます。そこで、台湾政府はこの流れを不可逆と見る一方、その身の安全保障のため、米議会へのロビー猛攻を仕掛けました。カーター政権がブレジンスキー大統領補佐官らと中国政策の寡占をしていた時期ですので、まともに米議会へ政権の考えなど説明していませんでした。そうした要素も重なり、台湾との関係断絶、米華軍事同盟失効と同時に、台湾関係法を2/3以上の賛成票で可決させます。これにより、カーター大統領は、拒否権を行使できずに署名せざるを得ませんでした。この台湾関係法は、必ずアメリカが台湾を防衛するという義務はありませんが、台湾の安全保障に重大な関心を持ち、台湾防衛に必要な武器類を提供することを謳っています。

当然、この法成立に対し、中国政府はカーター政権へ激しい圧力をかけますが、その成立阻止に失敗し、議会はホワイトハウスとは別物であり、中国にあるような政府の自動承認機関ではないことを学習しました。

2つ目は、李登輝・台湾総統の訪米ビザ発給です。中米を訪問した帰りにハワイに給油のため立ち寄った際の冷遇に李登輝総統が激怒し、台湾総統の訪米を実現させるべく台湾がロビー活動を行いました。「米国民主党に近いキャシディ―・アンド・アソシエーツ(C&A)と3年間450万ドルの契約を結び、米国議会へのロビー活動を展開する。李登輝がかつての留学先のコーネル大学を「母校訪問」の名目で訪れるという筋書きも用意された。受け入れ側には、数百万ドルの資金がばら撒かれたともいう。」*

当然、中国政府は、李登輝総統に対しビザ発給をしないよう、クリントン政権に圧力をかけますが、阻止できませんでした。そして、米議会に対する「ロビー活動」で、アメリカ政治は左右されうることを学習します。その後、中国政府は台湾の10倍とも評される予算をロビー活動に費やしているともいわれています。

しかし、ただカネさえ積めばよい、というわけではないことを学んだ事例は、少し前の1989年天安門事件でしょう。(日本語では「事件」と呼びますが、英語では「虐殺」と呼びます。)アメリカのテレビが、北京の天安門広場で非武装の学生たちを人民解放軍が殺戮したシーンをリアルタイムで放映したわけですから、西側諸国では大きな反発を招きました。中国にとり最も痛かった措置は、世界銀行やアジア開発銀行による対中貸付の凍結でした。当時、中国は世界銀行にとって最大の貸与先でした。「天安門事件の直前の一年間で、世界銀行は13億ドルの対中融資を行い、続く一年間にはさらに23億ドルを融資する予定になっていた。」**

とはいえ、中国への国際協調制裁は、思わぬところから綻びを見せます。先進国が中国への投資を手控えた結果、台湾や韓国企業が対中投資のチャンスとばかりに大挙して大陸へ進出しました。これを見た日本企業が政界を動かし、G7の中で海部首相が最初に訪中し、国際協調を破りました。そして1991年、やっとアメリカが世界銀行の貸付を解除し、中国も戒厳令を解除するに至りました。

なお、日本では学生運動への武力鎮圧そのものに対する素直な反発でしたが、アメリカの場合もう一ひねりあります。それは、ニクソン大統領の訪中以降、なぜ中国をソ連よりも厚遇しなければならないかという真っ当な疑問に答えるため、歴代政権は苦心し、ソ連とは異なり、中国は民主化に向けた改革を進めているというフィクションをアメリカ国民に伝えてきました。そして、1980年代の胡耀邦、趙紫陽両主席の西洋文化を容認する姿勢が、その証明のように見えていたにも関わらず、天安門事件の映像一つで、化けの皮が剝がれてしまいました。

当初学生運動は北京の学生のものでしたが、天安門事件を知った在米中国留学生も動き出しました。そこで、彼らが連邦議員たちに接触し、中国系アメリカ人の多いカリフォルニア州選出の、若き日のナンシー・ペロシ議員(2023年退任直前、中国政府やバイデン政権の反対を押し切り訪台した、あの下院議長です)らの支援を受け、まず留学期間終了後すぐに帰国する義務をなくすための法案成立に向け動きました。不幸にして否決されましたが、その支持の大きさに驚いたブッシュ政権(父)は、留学後の帰国義務をなくす大統領令(法は明記がない限り、有効期限はありませんが、大統領令は署名した大統領の任期中のみ有効)を発しました。

次に、留学生たちは目指したのは、最恵国待遇です。これがなければ、中国製品のアメリカへの輸出は不可能なくらいの関税がかけられる可能性があり、中国政府を非常に困らせることになります。再びペロシ議員が留学生の声を取り上げ、中国での人権改善と最恵国待遇更新をリンクさせようとする法案成立に向けて動きました。

当時の中国人留学生に、議員たちに支払うロビー活動費など、あるはずもありません。しかし、天安門事件の時のように、議員たちの門戸を叩き、議員たちに法律を成立させるに値する、成立させるべき内容であると確信させれば、物事は動きます。

その一方、中国は、企業もアメリカ政治における重要なプレーヤーであることも学習しました。具体的には、中国市場へ参入したがるアメリカ企業を味方に付け、中国に有利な政策をとるよう、彼等の政治力を利用するのです。レーガン政権では、強力なジョージ・シュルツ国務長官が、このような企業幹部を𠮟りつけましたが、その後のブッシュ政権(父)以降、政権側が負けていく事例が見られます。

例えば、江沢民主席がクリントン大統領との会談のため訪米した際、「シアトル空港に降り立つとすぐ、彼はワシントン州エヴェレットにあるボーイング社の工場に足を運んだ。およそ1000人の従業員を前にしてあいさつし、彼はアメリカの経済界が米中間にある「すべての否定的な要因と人為的に強いられている障害を取り除く」必要を訴えた。」**すなわち、クリントン政権が「人権外交」と称し、中国の人権侵害についてとやかく詮索せずに、速やかに最恵国待遇を中国に与えるよう、ボーイング社へクリントン政権に対し圧力をかけるよう「暗示」したのでした。

果たせるかな、クリントン政権では、当初こそ勢いよく中国の人権侵害を問題視しました。しかし、中国の人権侵害と経済問題をリンクさせない日本やヨーロッパ企業が中国市場でのシェアを広げるにつれ、クリントン大統領の当選に貢献した企業群(コンピューター、ソフトウェア、電子など、カリフォルニア州及び東海岸に集中する新しいハイテク産業)が傷ついてしまったため、最後にはうやむやになって立ち消えたのでした。

基本的に、人権といった理念は理解しがたいと言われます。一般的にリアリストは、行動原理を理解しようとしますが、そこで理念を持ち出されると、どこまでその理念に則った行動をとるのか、取らないのか、よく分かりません。例えば、人権だと一口に言っても、アメリカ国内でのアフリカ系アメリカ人の扱いは、「人権侵害」ではないのでしょうか?今日ウクライナ戦争での戦争犯罪により、プーチン大統領は国際刑事裁判所に指名手配されていますが、同様にパレスチナ人へ殺戮を繰り返すイスラエルのネタニヤフ首相に対し、なぜ同様に指名手配されないのでしょうか?すなわち、行動原理を十分に説明できないものを取り上げても、理解に苦しむというわけです。

他に、中国が民主政治に関して理解しがたいものといえば、選挙でしょうか。具体的に言えば、台湾海峡での軍事的な威嚇行為や、選挙介入をしようとしても、逆効果であるということです。最初の事例は、1996年李登輝総統の再選です。総裁選の1か月前に「人民解放軍は中国南東部の沿岸地域におよそ15万人の兵力を動員して、前年を上回る規模の新たな軍事演習を行った」**ため、アメリカは急遽空母二隻を台湾近海へ派遣しました。中国海軍は抗することができず、台湾では無事李登輝総統が再選されることになりました。その後も、なまじ介入しようとしたため、再選の見込みが薄かった2020年総裁選で、蔡英文総統も再選しました。そして、2024年の総裁選も同様です。

米中の争点
米中間の国交正常化に伴い、アメリカは、台湾問題について、当初から3つのNO政策、すなわち「二つの中国政策を支持しない、台湾の独立を支持しない、台湾の国際機関への加盟を支持しない」という見解を保持してきました。(公式にいうかは別にして)

ここで議論が分かれるのが、「台湾の独立を支持しない」という項目です。他の介入なく台湾が独立を宣言したら、それを歓迎し、承認するというメンタル・サポート的なものから、CIAがよく仕掛けるように、アメリカで新政府リーダー候補たちを教育し、軍事支援と共に本国に送り出し、独立宣言を出させる、というアメリカ作・演出「独立」劇(政治介入)もあります。

台湾はとにかく大陸に対し身の安全を保障したいですから、常に最新技術、最新兵器を求め、米議会を中心にロビー活動を行います。当然軍需産業も、これに同調します。一方、中国はそのような輸出、支援の縮小、停止を求め、実際レーガン政権との1982年コミュニケでは、台湾への武器輸出に制限を設けると合意させることに成功しました。

しかし、レーガン大統領は、「中国と台湾の軍事力の均衡が保たれる限り、アメリカは台湾への兵器輸出を制限する」**、すなわち中国が軍事力を高めれば、それ相応に台湾へ武器を輸出する肚積もりでいました。そして、その考えは後継歴代政権に引き継がれ、いつまでも台湾への武器輸出は継続されます。(但し、オバマ政権のように、兵器類の性質を防衛中心のものにする形で、中国が最も警戒する兵器類の売却を控える等、中国への配慮はあります。)

しかし、見様によっては、この武器輸出という行為そのものが、台湾独立を「扇動」しているようにも見えます。そして、輸入予算を確保する台湾政府の行為も、台湾独立の「動き」の一環にも見えます。一方アメリカ政府にとり、台湾関係法という法律で定められた行為でもあるのに加え、中台の「軍事的均衡」は客観的に測れそうで、多分に主観が入りやすく、たやすく意見の一致が見られるものではありません。よって、台湾への武器輸出は、いくら対話しても平行線となる、常に中国を刺激する火種なのです。

そんな「戦略的あいまいさ」を弄ぶアメリカに対し、近年中国はG2理論を提案しました。すなわち、世界を東西二分し、中国が太平洋の東半分を縄張りとし、相互不干渉としようという考えです。しかし、アメリカがその覇権の範囲を一方的に狭める理由はありませんから、むしろ「責任ある大国」として、核軍縮や環境問題等、世界規模で人類が取り組むべき問題について協力し合おうと逆提案され、ここでも思惑のすれ違いが生じました。

他にも、中国は、「接近阻止・領域拒否」(A2AD)を提唱しています。(世界を股にかけることはしないが、)中国周辺の米軍事力を拒否する(勝つ)という軍事コンセプトです。すなわち、同タイミングで
1)周辺に常設されている米前方展開部隊、即ち嘉手納、岩国、横須賀、佐世保等の在日米軍基地へ精密誘導装置を備えた弾道ミサイルで殲滅させ(初動部隊を叩く)、
2)米軍事衛星を衛星攻撃兵器(ASAT)で破壊し(米軍の「眼」を潰す)、
3)大規模なサイバー攻撃で日米軍事通信ネットワークをダウン(米軍の「神経系統」を破壊)させるわけです。

これらが出来れば、ほぼミサイル防衛システム(MD)を無力化(「眼」と「神経」がないので、その後の敵ミサイル追尾や撃墜は難しい)させることで直近の米軍攻撃能力を破壊し、それでも独自判断でどこからでも近づく米空母を対艦弾道ミサイル(ASBM)やステルス戦闘機群で迎撃するというわけです。

そして、恐らく北朝鮮も、中国の作戦の一端を担うものと考えられます。なぜなら、朝鮮戦争時に戦った国連軍司令部は未だに日本の在日米軍基地にあり、在韓米軍が台湾救援に移動しようものなら、南下する姿勢を見せる可能性もありますし、日米MD無力化の一環で、ミサイルを大量に放つことで、ミサイル探知機能を低下させ、全て撃墜が難しい状態にする等の形で貢献する可能性もあります。(次章で後述予定)

対するアメリカの策は、エア・シー・バトル構想(ASB)です。「具体的な対応策として、米国防総省はASATを破壊するための空・海軍共同作戦のほか、軍事偵察衛星の機動性向上、中国に対する空・海軍共同のサイバー攻撃の検討、有人・無人長距離爆撃機の開発、潜水艦とステルス機による共同作戦、空・海軍と海兵隊による中国領内の拠点攻撃、空軍による米海軍基地や艦艇の防衛強化など」***と言います。何か特別な新技術というよりは、既存技術の組み合わせ、改善が中心の対抗策です。

純粋に戦略的に考えれば、第一撃で壊滅させられると考えられる在日米軍への依存度を下げ、遠距離からの攻撃能力を高めるべきなのですが、大量の米軍が目の前に見えること自体が抑止力と多くの人々に解釈されること、米軍が在日米軍基地を一種の「戦利品」と未だに考え、一度手放したら二度と戻れないという懸念等が政治的なハードルとなり、そう簡単に在日米軍の縮小には繋がりません。妥協点として、米軍のローテーションそのものやローテーション先を増やし、常に特定の基地にいるとは限らない状態とすることで、第一撃による破壊から免れる確率を高めることぐらいでしょうか。

こうした争いの終着点はまだ見えませんが、中国の台湾への執着は、台湾が自らのアイデンティティーの一部であり、中国共産党政府は台湾問題を「核心的利益」と位置付けています。

遠い親戚の中台関係
一方、中台関係はどうでしょうか?表向きは確かに対立関係にありましたが、互いが互いを熟知している間柄ですので、密やかなコミュニケーションルートがあったようです。「大陸反攻」を掲げていた蒋介石時代には、例えば蒋介石総統の妻・宋美齢の姉にして孫文の妻、宋慶齢は、中国共産党と共にいました。また、宋慶齢にとって生さぬ仲の息子・孫科も、台湾の国民党政府で要職についていました。

また、中共と妥協せず、接触せず、交渉せず、という「三不政策」を打ち出していた蒋経国総統自身に、モスクワ大学留学中の学友が中国共産党に大勢おり、廖承志(日中LT貿易の立役者の一人)が国家統一について話し合いたいと公開書簡を経国総統本人に出したほどです。建前は反共と言っても、内実は「香港など第三地区を経由した中台間接貿易は静かに成長を続け、大陸出身者による秘密裡の大陸親族訪問のうわさも、随所で聞かれるようになった」*

1988年から総統となった李登輝総統も、反中・親日路線を体現していました。しかし、政治的な計算という側面は否めません。日本統治時代、反抗分子はいましたので、特別親日色が強かったわけではありません。しかし、蒋介石・経国(前半)政権への当てこすり的に、過去を振り返って日本統治時代はよかった、と言うわけです。「犬(日本)はうるさい(日本の警官がよく人前で怒鳴る)が、それでも番犬にはなる。豚(蒋父子政権)はただ貪欲に食い散らかす(腐敗・搾取が激しい)だけだ。」****

さらに、日増しに国力を付けていく大陸とより対等な国際的な立場を得ようと、「弾性(柔軟)外交」と称し、中国唯一の合法政府として台湾を認めさせることにこだわらず、中南米諸国等へ積極的に国交樹立を求めました。(後に、大陸が台湾以上のODAを提示したためか、大陸への「乗鞍」が続出しましたが。。。)

そんな李登輝総統でも、自身が日本統治時代に短期間中国共産党に入党していた関係で、「密使が行きかう秘密ルートを通じて、江沢民や喬石と情報交換していたことは、早い時期から知られていた。」*

しかし、2000年国民党から民政党へ政権交代し、陳扁水総統が誕生する頃には、歴代総統と大陸間ルートが引き継がれていないと言われています。逆に、本省人を経営者に頂く大手企業がこぞって大陸シフトを本格化させ、台湾の松下幸之助ともいわれる「王永慶にいたっては、その息子と江沢民の息子による合弁計画が報じられたほか、01年夏には北京側の主張する「一つの中国」受諾を主張し、世論に波紋を投げかけるほどだった。」*

2008年国民党が政権奪還し、馬英九総統が誕生するや、大陸とのルートを活用し、三通(通商、通航、通郵)を同年実現しました。これで、台湾から大陸への直接投資、飛行機、海運の直行便、直接の郵便が可能となりました。総統退任後も、国民党を党首として率い、民政党の蔡英文総統が訪米するタイミングで訪中する等、大陸との独自ルートを国民党内で代々継承しているのでしょう。
 
2016年以降、再び大陸とのルートが薄い民政党へと政権交代したままとなっています。確かに中国大陸が持つ経済的魅力は大きいですが、半世紀以上も分断された社会で互いに別々で生活し。共通の体験もありませんので、台湾の人々は台湾人としてのアイデンティティーを持つようになり、中国統一という概念は大陸のスローガンでしかない、そういう世代交代に伴うメッセージが垣間見えるように思えます。

そして、世代交代は、何も中台間だけで起こっているわけではありません。日台関係でも、日本統治時代の日本語を流暢に話せる世代は引退し、戦後の日本のアニメ等を「推す」若者たちが出てきています。米中でも、最初の懸け橋となったキッシンジャー氏世代は既に引退し、アメリカでは冷戦思考に囚われることなく、中国政府は民主化に向けて頑張っているというようなフィクションを信じずに育った世代へと移りつつあります。

それは、「戦争」、「統治」等、共通の体験の共有により培われた、様々な郷愁や想い入れがない分、よりありのままに現実を視る時代ともいえます。今一度、「敵を知って己を知る」ことが求められているのです。

*本田善彦著「台湾総統列伝」
**ジェームズ・マン著「米中奔流」
***春原剛著「米中百年戦争」
****酒井亨著「「親日」台湾の幻想」

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